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(最終)12月 一般意志2.0

(著者)東浩紀(批評家、講談社月刊宣伝誌「本」連載中(09年12月号~))
<きっかけ>
 ルソーの「一般意志」という、民主主義とも独裁とも親和性があるとされている概念が、世界中の無意識を可視化できる総記録(検索)社会の出現で新しい価値を発揮するとし(一般意志2.0)、それに基づく社会や政府のあり方(政府2.0)について構想する意欲的な論文。(著者の独創ではないが)「プラットフォームとしての政府(政府2.0)(であるべき)」という考え方はとても魅力的だ。

<概要>
・「ルソーは、一般意志も全体意志も特殊意志(個人の意志)の集合だが、全体意志が特殊意志の単純な和でしかなくしばしば誤るのに対し、一般意志は単純な和から相殺し合うものを除いた「差異の和」(数学的概念)であり決して誤らない、と述べる。ルソーの一般意志は「世論」や「民主主義」とはだいぶ異なる。ルソーは条件によっては一般意志の執行には民主制より君主制が適するとも述べている」
・「ルソーは市民が一堂に会し、ただ自分の意志を表明するだけで直ちに一般意志が立ち上がる社会を夢見、そのためには、多様な意志、差異の存在こそが重要と考えた。そのため、差異の数を少なくする部分的結社(政党)は禁止すべきであり、同じ理由から市民の間の意見調整(コミュニケーション)も否定する。これは一見荒唐無稽とも思えるが、前者(結社の禁止)については(二大政党制の下での)政治の機能不全を考えると空理空論とはいえない」
・「しかし、後者(コミュニケーションの否定)については躊躇する。アーレントにしてもハーバーマスにしても20世紀の代表的な政治思想家たちは公共空間はコミュニケーションによってつくられるものだとしており、ルソーのように、一般意志が市民のコミュニケーションの外部に、特殊意志群の均衡点として数学的に存在するなどということは受け入れがたい。現にルソーは、人民はいくら議論しても一般意志には到達できず一般意志を可視化できる超人間的な立法者が必要であるとしたので、独裁者を容認するものとして批判された」
・「しかし、世界中の無意識を体系化し可視化できる総記録(検索)社会においては全く状況が異なる。現代社会が蓄積しつつある個人情報の集合(一般意志2.0)はデータベースとして存在しており、立法者は不要。だとすれば、私たちは自分たちの意志をもはや誰かに代表してもらう必要はない、ましてや、数年に一度だけの選挙で民意を託すことにはいかなる必然性もないといえる」「ルソーが今の時代に生きていれば、取り組むべきはその一般意志2.0の精緻化と、その出力と統治機構を繋ぐ制度設計だと断言したに違いない」「特に、アーレントたちが前提とした公共圏、開かれた討議による公共空間なるものが存在するとは思えない現代社会においては、コミュニケーションによる統治より、表面的には私的な利害の調整しか行わないような一般意志2.0による統治の方が生産的とも言える」
・「一般意志2.0の下での政府(政府2.0)は、一般意志の公僕、市民社会や企業活動のプラットフォーム(市民に画一的な福祉を与えるのではなく、市民が多様な福祉サービスを比較考量し選択する、そのためのプラットフォームとして中立的に機能する、消費者目線の総合サービス業)であるべき」
・「来るべき政府2.0は一般意志2.0に従うだけではなく、一般意志1.0(意識)と一般意志2.0(無意識)の相克の場「熟議とデータベースのインターフェース、補い合う社会となるべき。新時代の立法者は一般意志を体現するものではなく、可視化された一般意志(無意識)の上にどのような熟議(意識)のネットワークを張り巡らせるか制度設計する者である」
・「来るべき国家において代議制は人民主権の十分な表現だとは見なされないが、そもそも現代社会の複雑さは有権者の認知限界を超えているのが根本の問題なのだから、直接民主制も全く解決にならないのは明らか。無意識民主制とでもいうべき意志集約の仕組みが必要」とし「政策審議は政治家と専門家等の審議(熟議)であることを前提に、そのあらゆる会議を公開し、素人の可視化された無意識(感想、つぶやきなどの統計処理結果)に晒されながら行われるべき」としている。
<感想>
 大変魅力的な主張だと思う。ただ、①「グーグル問題の核心」が主張する、データベースに対する信頼性の問題(公的検索システム構築の必要性)と、②いくら大半の国民がネット利用できるようになったとしても、検索やつぶやきに表れない「無意識の痕跡も残せない声」をどうするのかという問題、は難問だと思う。以上

  

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2010年12月31日 | ソーシャルキャピタル、ガバナンス | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

12月 サバイバーズ・クラブ

(著者)ベン・シャーウッド(松本剛史訳、講談社インターナショナル)*10年2月25日第1刷発行
<契機>
 京都新聞書評欄の今年のお薦め本になっていたため購入。原著副題は「あなたの命を救う秘密と科学」で、「生存における人間的要因~極めて困難な試練に遭ったとき生き延びる人間、死ぬ人間がいるのはなぜか~に答えようするもの」「最良のサバイバーに共通する心構えや習慣を分析し、危機を生き延びる見込みを高める方法を示すのが目的」の本

<概要>
(1)動けなくなる人たち~なぜ死ななくていいときに死ぬのか?
 ・「多くの人々は自分の見ているものを信じようとしない(不信反応)、現実否認や行動できない状態に陥った人々は、高い確率で犠牲者と死体の役割を受け入れることになる」「ベトナム戦争のアメリカ人捕虜で、一番死んだのは楽観主義者であった」
 ・「人はその非常事態での反応によって、①何とか助かろうとするサバイバー、②不運な死者、③必然性もなく命を落とす犠牲者に分けられる」「③は全て脳と呼ばれる工学システムが機能不全を起こして正しい判断ができなくなることに起因」「人が命を脅かす状況に反応する際の10(比較的穏やかで合理的な精神状態で対応できる人々)-80(ただ呆然とし途方に暮れる、反射的ほとんど自動的に行動する人々)-10(不適切な行動をし状況を悪化させる人々)の法則」
(2)生死を分ける90秒~飛行機事故の時にすべきこと、してはいけないこと
 ・「世界中の飛行機事故における死亡例の40%は実際には生存可能な状況で生じている」「災害でパニックは実際にはほとんど起こらない。飛行機事故で起こるのは消極的パニック(自分が助かるために何もしようとしない)、予期せぬことが起こると人はどう反応すればいいかわからなくなる」
 ・「大半の乗客は酸素マスクなしで1時間生きられると思っているが実際にはほんの数秒の猶予しかない、また、燃える飛行機から逃げ出す時間が30分はあると思っているが実際にはたった90秒」
 ・「次に知っておくべきことは、プラス3(フライトの最初の3分)/マイナス8(着陸前の8分)に警戒を怠らないこと、命令や指示を待たずにいつでも駆け出せるよう準備しておくこと」「飛行機で最も安全な座席は非常口から5列目まで」
(3)幸運を科学する~いいことはなぜいつも同じ人たちに起こるのか?
 ・まず、新聞にある写真の数を聞く課題で、記事に大きな字で答(写真の数)を書いてあってもそれを見逃す人が多い(不注意による見直し)ことを指摘し、「人はある瞬間には現実のごくわずかな断面しか見ていない」
 ・「幸運な人たちはおおむね神経症的傾向が少ない、力まずゆったり構え人生の可能性をオープンに受け入れられる、不運な人たちは神経質で自閉的」「運とは、心の状態で、どのように考え行動するか」「一度自分を傷つけたことのある人がもう一度同じことをする見込みは高い、不運と事故を招き寄せるのは10回の内9回は自分自身、当人が行う小さな選択の積み重ねによる(故意の偶然)、それは性格ではなく心の状態」
 (4)立ち直る人、立ち直れない人~打たれ強さの遺伝子
 ・「セロトニン輸送体遺伝子には2種類の対立遺伝子がある。逆境に対して保護的に働くタイプをもった人たちは快復力があり平気でいられる、ストレスに敏感なタイプをもった人たちはうつに陥ったり自殺を考える危険性が高い」「私たちの17%は父母の両方からストレスに敏感なタイプを受け継ぐ、51%は両者を1本ずつ、残りの32%は両方とも保護的タイプ」
 ・「前二者はストレスに弱いが、その影響は限定的であり、一定のステップの処方箋に基づき回復力を高めることは可能」「私たちは自分で思う以上に自分の運命をコントロールできるのだ」「サバイバーのタイプには①ファイター(闘う人)、②ビリーバー(信じる人)、③コネクター(つなぐ人)、④シンカー(考える人)、⑤リアリスト(現実的な人)がある」
<感想>
 ユニークで実践的な本。私たちの中には、きっと上記5つのタイプのサバイバー的資質が某かは潜んでいるはずなので、いつもそれを出せる訓練、シュミレーションをしておくべきなのだと思った。以上 

2010年12月31日 | キャリア、健康 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

12月 ほとんど食べずに生きる人

(著者等)柴田年彦著、安保徹(新潟大学大学院医歯学総合研究科教授)監修(三五館)*08年11月28日2刷発行
<きっかけ>
 年を取っても食欲に逆らえない生活を送る私を見かねた子どもから薦められた本。著者の常識はずれとも言える「ほとんど食べない生活」の実践記録に監修者等の解説を加えたもので、ここまではできないだろが、何とかがんばろうという気にさせてくれる本
<概要>
(1)はじめに
・「メタボ対策が進まないのは、一定のカロリー(成人男子2500kcal/日など)を摂取しないと健康は維持できないと言う神話の影響ではないか」「(著者は)運動生理学の先生から死んでしまうと警告された500kcal/日の食事を続けたが、健康レベルは格段に上がった」
(2)ほとんど食べない生活の様子
 「貧血症状が出た1ヶ月目(1400~1500kcal/日)、1日中眠かった2ヶ月目(同cal)、心身に影響が出始め不安を感じた3ヶ月目(同cal)~毎日やっていることも瞬間的な判断ができない、漢字を忘れるなど~、皮膚に不快な症状が出た4ヶ月目(同cal)~湿疹、かゆみなど、歯周病など~、皮膚から体質改善が始まった5ヶ月目(同cal)、体質の変化を意識できた6ヶ月目(同cal→1200~1300kcal)~寒さに強くなった、睡眠4時間でよくなった、物忘れが解消したなど~、健康診断で異常が出ない7ヶ月目(800~900kcal→400~500kcal)~髪の毛が黒くなった、股下が長くなったなど~、客観的に健康を確認した8ヶ月目(400~500kcal)、歯周病まで治ってしまった9ヶ月目(同cal)~ダブダブのお腹の皮に困る~、何かが変わってしまった10ヶ月目(同cal)、痩せすぎを防ぐ(BMI維持の)ため体重増加策に転じた11ヶ月目(800~900kcal)~基礎代謝量が成人男子の約7割(1069kcal)に減っていた~、空腹感が心地よくなった12ヶ月目(同cal)~リンパ球比率24%というガンが発生してもおかしくない数値になったが(問題なかった)、末期ガンを克服した方に20%以下の方が多い~、その後400~500kcalでもBMIを維持できるようになった」
(3)超低カロリー生活を裏付ける監修者(安保教授)の新理論
 「基礎代謝量の半分の摂取カロリーでなぜ元気に生き続けられているのか」「基礎代謝では化学反応だけで放射能反応を考えていないが、本当はエネルギーを放射能からもらっているから、摂取カロリー以上に1500kcalでも1600kcalでも使うことができる」「これが少量の食事で生きていられる謎解き」
 「私たちの細胞のエネルギーの生成系は、酸素を使わない解糖系と酸素使う好気的なミトコンドリア系の2本立て」「解糖系は瞬発力、細胞分裂につながる(精子が代表、低体温の世界)、ミトコンドリア系はカリウムの放射能を使い、取り入れた以上のエネルギーを出し、持続力につながる(卵子が代表)。生命は20億年前に酸素が嫌いな母体に酸素が好きなミトコンドリアが入ってできたもので、酸素焼けして死ぬのが老化、合体をやり直しているのが生殖」
 「解糖系の成長が15~18歳で止まり、20代、30年代・・・はミトコンドリア系と解糖系が調和(この間たくさん食べると栄養が解糖系に入り、無理をすると低酸素、低体温の嫌気的な世界に入り、身体が忘れていた分裂の世界に入るのが発ガンだから、ミトコンドリア系に戻れば良いので、熱、もっといいのは放射能で温めたらよい)し、80代くらいからミトコンドリアの有利な世界、霞を食べて生きていける仙人の世界に入る」「著者は通常の人より早くミトコンドリアの世界に入ったもの」
 「著者に不足しているのは、上半身の運動。脳に血流を行かせるため腕、肩の運動が大事。呆けるのは散歩するだけだから」
 「しかし、健康についても、主義主張で凝り固まらないで、臨機応変さを残しておくことが大事。玄米菜食の方が余り長生きしないのも凝り固まっているから」
<感想>
 以上の外、具体的な食事メニューや暮らし方などについて詳細に述べられており、役に立つし、動機付けにもなる本だと思った。以上

2010年12月31日 | キャリア、健康 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

12月 諸外国の課税単位と基礎的な人的控除~給付付き税額控除を視野に入れて

(著者)鎌倉治子(国立国会図書館財政金融課)*国立国会図書館「レファレンス」平成21年11月号
    *他に「給付付き税額控除具体案の提言~バラマキではない「強い社会保障」実現に向けて」(東京財団政策提言2010年8月)と「所得税法における課税単位の研究~主として所得税法56条の解釈について」(大坂公恵、平成16年度金沢学院大学大学院修士論文)も参照

<契機>
 ・16日に閣議決定された来年度の税制改正大綱で成年扶養控除が大幅に縮減され、どうして就職できない子どもを必死で支えている家族を苦しめるようなことをするのか(それでなくても弱くなっている家族をさらに弱くするのか)と大変残念に思ったこと、それと、過日読み終えたアンデルセンの本で彼が家族手当を妻の口座に振込む意義を強調するのを読んだとき日本の税制等は世帯単位なのでそのようなことは無理だろうと思っていたが、財務省のHPなどを見ると日本は個人単位税制の国であると書かれておりそれがとても信じられなかった(「世帯主」しか相手にしない日本がどうして「個人単位」なのか?)こと、その2点から、日本の税制などで「家族」や「個人」がどう扱われているのか知りたくて「課税単位」に関して、ネットで入手できた論文をいくつか読んでみた。
 ・読んで思ったのは、日本は戦前の家族制度を否定しないといけないため、実態も国民の意識も伴わないのに建前上は無理矢理「個人単位」としたが、その実施は無理なので、実質の部分では配偶者控除などを活用して「家族単位」的なものとした、しかし、アンデルセンの言う「女性革命」の中で左右両勢力からその中途半端さを攻撃されている、のではないかということだ(もちろん、課税単位と家族制度は直接の連関はなく、個人単位とされている他国でも世帯に対する考慮はされているのであるが)。
 ・これは、「建前と本音」という大きなテーマの一つであるとともに、社会保障改革の切り札とも言われている給付付き税額控除の導入においても大事な論点であり、また、成年扶養控除の縮減の伏流にもなっているので、真剣に考え、広く論議しないといけない問題だと思った。
 ・私自身は、名実ともに「世帯単位」の制度に組み替えて、「国が家族を支援する」ということをもっと明確に打ち出した方が良いと思った(n分n乗式、世帯単位の税額控除など)。
<概要>
(鎌倉論文から)
 ・「昨年の経済白書は、日本は税による再分配効果がOECDで一番低くその効果も高齢者に偏っていること、現役世代の再分配効果を高めるため給付付き税額控除の導入を検討すべきことを述べている」
 ・「課税単位は、個人単位と世帯単位(夫婦単位と家族単位)に分類、世帯単位はさらに合算非分割と合算分割に、合算分割はさらに均等分割(2分2乗)と不均等分割(n分n乗など)に分類される」ここで、日本、イギリス、スウェーデン等は個人単位、アメリカ、ドイツ等は個人単位と均等分割の選択制、フランスはn分n乗とされる。
 ・「個人単位課税は個人間の公平性が確保され、結婚や配偶者の就労に中立的だが、世帯間の公平性が阻害、世帯単位課税はその逆」「70年代以降多くの国が世帯単位から個人単位に移行」
  ←ここは納得できなかった(日本(個人単位?)が配偶者の就労に中立的だと考える人は余りいないのではないか、また、シャウプ税制時から個人単位を導入している日本はその優等生ということになる(がとてもそうは思えない))が、次の「しかし実際の各国の制度は多様で、純粋な個人単位や純粋な世帯単位の国はない」の記述に至り納得した。日本は名目「個人単位」でも実質は(大坂論文が示唆するように)「世帯単位」なのだと思う。ただ、私は「世帯単位」の方が家族を支援するというメッセージを明確に打ち出せると思うし、n分n乗など婚姻や出産にインセンティブを与える制度設計もできると思うので、この際、名の方を改めるべではないかと思った。
(その他)
 ・鎌倉論文のメーンは、上記に続く「世帯に対する負担の調整」など給付付き税額控除に連なる部分であり、大変簡潔、明瞭にまとめられており、素人ながらすばらしい論文だと思った。
 ・また、東京財団政策提言にも個人の資格で参加され、給付付き税額控除について大変有益な知見を提供している。(東京財団の他の論文も力作揃い。ただ、本年8月に出されたこの政策提案では、民主党のマニフェストや政権交代後初の昨年の税制改正大綱の記述などから、給付付き税額控除の一層の前進を展望してのものだったが、今年の税制改正大綱の記述は明らかに昨年より後退し、政権の目指す家族像、社会像が見えないものになっており、何ら参考にされなかったのではないかと、大変残念)
 ・大坂論文は、所得税法56条(事業から対価を受ける親族がある場合の必要経費の特例)の限定解釈を主張される前提として「担税力をどのような単位で捉えるべきか」を考え「課税単位」の考察をされているのであるが、この部分だけでも読むに値すると思う。
 ・まず、昭和36年9月6日の最大判がユニーク。給与所得と事業所得は妻の協力があって得られたとする納税者がその半額を妻の所得として申告し、それに対する税務署長の更正決定等の取り消しを求めたもので、「税務訴訟上男女の実質的平等を主張した最初の訴訟ではないか」とする(判決はそれには応えていないが)
 ・また、「ボーリス・ビトカーが租税の公平性と結婚中立性について(1)累進制(2)等しい所得の夫婦に対する等しい税負担(3)婚姻中立的税制の三者は両立し得ないことを指摘している」と述べ、要は、国民がどの価値を優先するかという問題だと述べているのは、何となくわかる。だからこそ、しっかり交通整理された実りある広範な議論が必要なのだろう。
 ・いずれにしてもこれらの論文(集)は大変役に立つ、価値あるものだと思った。以上  

2010年12月25日 | 法律、ルール | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

12月 ペンタゴン報告書 中華人民共和国の軍事力(2009年版)

(著者等)
 ペンタゴンが2009年3月25日にアメリカ議会に提出した報告書の全訳
<きっかけ>
 中国の軍事動向を初めて「地域・国際社会の懸念事項」と認定した新防衛計画基本大綱が今月17日に閣議決定され、それを巡って色々議論がなされている中、一番大事なのは彼此の現状がどうなっているかという事実の共通認識だと思い、以前買ったままになっていた本書を読むこととしたもの。
<概要>
(1)中国の戦略を理解する
 ・「中国の指導者は21世紀の最初の数十年を、地域的、国際的な条件が一般的に平和的であり、中国の地域的な卓越への台頭と全世界的な影響力にとり助けとなると考えている」
 ・「中国指導部の戦略的な優先的事項は、中国共産党の統治の永続化、経済成長と発展の永続、国内政治の安定的維持、国家主権と領土的一体性の防衛、大国としての中国の地位の確保である」
 ・「中国の戦略的行動を形成する上で、市場と天然資源、特に金属と化石燃料への確実なアクセスへの依存がますます重要な要因なってきている」
 ・「中国の現在の戦略は、経済発展に有利な環境を確保するため、対外的緊張を管理することであるが、それを実現する方策について、小平流の中国の過剰な国際的責任を避ける立場、中国がより活発で建設的な役割を果たすべき(周辺国に脅威を与えず)とする立場、中国をいじめる米国に対抗するためもっと強硬で自己主張的である必要があるとする立場などがある(が、12年の第18回党大会前に戦略の変更はないだろう)」
(2)中国の軍事戦略とドクトリン
 ・「中国の軍事戦略である「積極防衛」は「先手を取って的を殲滅すること」」「指導者たちは、中国の経済的、政治的力は海へのアクセスと海の利用に依存しており、強力な海軍にはこのようなアクセスを守ることが求められていると主張(「第1列島線」のみならず「第2列島線」までの「積極防衛」も想定)
  *列島線;「専守防衛」の説明参照 http://hnakazawa01.blog130.fc2.com/blog-entry-116.html
 ・「過度に秘密主義を好む中国の軍部指導者たちの傾向と、近隣諸国や既存の大国に世界の舞台における中国の影響力の拡大の平和的な性格を知らせて安心させようとする文民指導者たちの目的との間に矛盾が生じている」「秘密や欺瞞への過度の依存は、したがって、中国の能力、ドクトリン、戦略環境について外国人を混乱させるのと同様に、中国の指導者たちを混乱させることにもなり得る」
(3)兵力の近代化の目標と傾向
 ・「中国の軍事力は、台湾の独立を阻止し、北京の意向に添った条件で台湾が交渉せざるを得ないようにする能力(接近阻止、地域拒否能力)の確保に焦点」
 ・「短距離弾道ミサイルSRBMを1050~1150基、中距離弾道ミサイルMRBMを増強、対地巡航ミサイルLACMを150~300基、空対地ミサイルASMを保有・・・・・(以後、核兵器や宇宙開発などの戦略的能力について記述)」
 ・「中国の兵器購入などを分析すると、台湾以遠を考慮し、第2列島線をも超えて海洋の権益を守り増強せんとの中国の願望を反映している」
(4)兵力の近代化のための資源
 ・「北京の長期的目標は、人民解放軍の近代化の目標を満たすとともに、世界兵器貿易における最上級の生産国としての競争力を備えること」
 ・「中国の(公表された)軍事予算はここ20年間年率2桁の伸び率で増大、経済全体の成長率を上回る」「実際の軍事的支出を推定することは容易でない」「中国の立法部は人民解放軍予算を監査する仕組みを有していない」「08年9月、中国は国連事務総長に軍事支出の年次報告書を提出したが、標準方式でなく簡略方式」
 ・「人民解放軍は20年までに数隻の空母の建造を検討している」(本書の見立では、15年以前に作戦可能な
国産空母は持てないだろう)
(5)その他
  以下、「兵力の近代化と台湾海峡の安全保障」等の記述が続く。
<感想>
 中国と真に仲良くしていくためにも、外交、安全保障の柱を(ここに書いてあるように)具体的かつ明確にし、国民の共通認識にしていく必要があるのだと思った。それと、やはり心配なのは(本書も危惧しているが)人民解放軍などが中央政府によって効果的にコントロールされていないのではないかということか。以上 

2010年12月24日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ