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12月 街場のメディア論

(著者)内田樹(神戸女学院大学文学部教授、光文社新書)*10年9月10日第4刷発行
<きっかけ>
 著者の名は子どもから聞いたことがあったが、読んだのは本書が初めて。メディアの暴走の仕組みや世論、クレーマーなどについてユニーク説得力ある議論を展開しているが、キャリア教育批判や知的所有権に対する見解には納得できなかった。
<概要>
・第1講では、文科省等の進める「キャリア教育」を批判する。曰く「適性と天職などを考えるから就職できない」「能力はマインドセットの問題」「能力は他者から求められたときに開花する」等々を(なぜ同列に論じるのか理解できないが)ご自身に子どもができたときに父性愛が目覚めたことも例に語られる。著者の主張には、生きにくい社会に出るため必死に努力(無駄なことも多いかもしれないが)している学生たちを、恵まれた高みの環境から見下ろして評論している残酷さを感じる。
・第2講マスメディアの嘘と演技、ここからがメディア論。「マスメディアの凋落はインターネットによるよりもジャーナリストの知的な劣化によるものである」「テレビは、つつがなく放送することが自己目的化しており(それはそれで仕方ないことだが)、当事者たちのその本能的な弱さに対する自覚がない」「質保障の基本はピアー・レビュー(同僚による査定)であるべきなのに、新聞はテレビを批判せず、質の劣化を放置している」「メディアで特にたちの悪いのが、知っているのに知らないふりをしてイノセントに驚愕してみせること、知らなかったのはメディアの無能を示すものであるはずなのに、恥ずかしげもなく言い逃れ、最後は「こんなことが許されていいのでしょうか」という常套句で終わらせる」「メディアが多用するこの演技的無知はそれを模倣する人々の間に社会的な態度として広く流布し「クレーマー」となった」
・第3講メディアとクレーマー。「己の無知や無能を言い立てて免責特権を確保しその上で被害者面して勝手な意見を言うというメディアの態度が目につくようになったのはここ数年間のこと」「これが市民に蔓延したのがクレーマー、すなわち、自分の能力や権限の範囲内で十分に処理できるし、すべきトラブルについて、無知、無能、言い換えれば市民的未成熟を言い立てて誰かに補償させようとする人々」「日本のマスメディアは、一貫してクレーマーの増加に荷担してきた」「このような未成熟な市民が大量に生み出されたため最も劣化させられたのが教育と医療」
・第4講正義の暴走。「病院で「患者様」と呼称するようになって、入院患者が院内規則を守らなくなり、暴言を吐く患者が増え、入院費の踏み倒しが増えたが、これは患者が消費者的に振る舞うことを義務づけられたのだから当然」「メディアは、万人が消費者として容赦なく振る舞うとき市場は最高の状態に進化していくという「消費者モデル」イデオロギーの普及に積極的に荷担してきた」「メディアにはとりあえず弱者に荷担するという性癖があり、それは正しいが、その後真実を調査しなければならないのに、それをせず、いったん取った自己の立場に固執するか、なかったことにして、次のとりあえずの弱者の問題に移っていく」「なぜ自分は誤ったのかを簡潔かつロジカルに言える知性が最も良質な知性だが、今のメディアはこの知性観を採用しない(岩波書店の例などを挙げる)、他人には要求する消費者モデルイデオロギーを自分には適用しない」「言葉から個人が欠如し、定型化、マニュアル化されたメディアの暴走がメディア自身をも焼き尽くす(誰でも言いそうなことしか語らないのでなくても問題ない)」←この章は「暴走する資本主義」などを援用しながら畳み込むような議論展開で大変説得的
・第5講メディアと「変えない方がよいもの」。「メディアの劣化はその定型的な言葉遣いの帰結だが、それは2つの信憑、メディアは世論を語るものだという信憑とメディアはビジネスである信憑で形作られている」「しかし、世論とは誰もその言責を引き受けようとしないもの、自分の生身を差し出してまで主張しなければならない真実ではないものであり、無責任で攻撃的になりがち」「メディアがビジネスであるという信憑からは、変化への異常なまでの固執、惰性への攻撃が生じ、医療や教育などの社会的共通資本にも集中的なバッシングを加え、今日の荒廃をもたらす一因となった」
・第6講読者はどこにいるか、ここから出版に対する議論。「不毛な著作権論争」「書物は商品ではない」などと述べ、著作権や知的所有権を擁護する人や「図書館は新刊書を余り買うな」と言う人たちを、(図書館)読者を盗人扱いするものなどと非難する。しかし、この考え方には全く納得できなかった。これは、著者も自認されているとおり大学教授という定職と人気評論家としての多くの著書を有する方(物書きの中でもほんの一握りの人たち)にしかできない主張だと思う。やはり、本は、著者や出版の人たちの生活を支え、文化を再生産するため、有料で買って読まれるべきものであり、図書館などにはできるだけ新刊書は置かないでほしいと思う。
・その他著者は、「本棚の欲望」や「贈与経済」などのユニークなキーワードによる分析などから出版文化の未来を論じるが、私などは、そのような難しい、また、結局競争に打ち勝った一握りの著者しか生き残れないような主張(著者も「生き延びられるものは生き延びよ」と言っている)よりも、「本は著者たちの知的営みに敬意を表するもの」「文化は一人一人がお金を出して支えるもの」「本は買って読むもの」ということを常識にしていった方が、すそ野の広い、ゆとりのある文化ができるのではないかと思う。
・いずれにしても、著者の主張は、著者が批判する市場原理主義とは逆の意味で同じように残酷な発想であると感じた。以上

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2010年12月19日 | コミュニケーション | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

12月 世論の曲解~なぜ自民党は大敗したのか

(著者)菅原琢(東大先端科学技術研究センター特任准教授、光文社新書)*09年12月20日初版1刷発行
<きっかけ>
 メルマガで今この本がよく読まれていることを知り購入。郵政選挙から先の政権交代選挙までの政治家やマスコミ関係者の認識した「世論」が、いかに(真の)世論と違ったものになっていったかということを、詳しいデータ分析から導いている。データの見方についてとても勉強になる。
<概要>
・「先の総選挙の敗北の原因を「小泉政権の負の遺産」とする政治家、マスコミ関係者が多いが、それを示すデータは一切ない」「逆に、自民党が苦手としていた都市部住民、若年層と中年層の支持を獲得するという小泉が書いた処方箋を捨ててしまい、党首人気という根拠のない療法に頼り、病気を悪化させたもので、当然の帰結というべき」
・「人は自分の考えや事前に有している印象や情報に従って物事を解釈しがち、都合のよいものだけを選び取ってしまう習性(確証バイアス)がある。自民党の政治家や番記者たち(専門家)が誤った進路に舵を切り、誤った報道を繰り返したのはこの確証バイアスが背景にある」
・「郵政選挙は、データから見て、従来の自民党が支持されたのではなく改革を進める自民党が支持されたものだが、政治家や評論家は国民がお題目やテレビに踊らされたなど異なるイメージで捉えた」
・「07年参院選で自民党は1人区で負けて大敗したため、小泉構造改革で農村が疲弊したため(逆小泉効果)と分析するむきがあるが、1人区の自民党の票は減っておらず、増えた投票率の分が野党に行ったための敗北であり、その人たちが古い自民党の復活を支持しなかったため」
・「「逆小泉効果」という分析は、著者の指導教官の樺島東大教授(当時、現熊本県知事)らの誤ったデータ分析による調査論文とそれを真に受けた全国紙などの論調が大きな影響を与えた」(痛烈だが、説得力ある批判)
・本書の後半は、なぜ自民党が麻生氏のような人物を代表に選び、大敗したのかの分析。まず、「当初は政治家もマスコミも(フジサンケイグループを除き)国民の中に麻生人気があるなどと考えていなかったが、各マスコミの次の首相調査の中で麻生氏が最有力候補になっていく、すなわち「総裁選に出たから」次の首相調査の数字が上がっただけ」
・「政治家や番記者が安部氏や麻生氏を人気だと見誤ったのは確証バイアスによるものであり、その原因にネットの見過ぎがある」と考える著者は、ネット上の各種データから「若者右傾化論」が語られていることを例に、ネット世論の危うさについて論じる。「ネット上に世論があると考えること自体ばかげている。「ネット小言」などと言い換えるべき」
・現代における世論と政治の関係について「普通の人にとって政治は遠目で眺めるものでしかないが、政治家や番記者には普通の人は見えず、政治に何かを求める人たちの「世論」や世論調査や選挙結果の数字しか見えない。小泉後の自民党が支持を失ったのは、世論と「世論」の乖離を整理し理解できなかったため。彼らは「世論」に合わせて世論調査や選挙結果を解釈し対応を誤った」
・「世論が正しいとは言わないが、(真の)世論を理解してこそ適切なつきあいができるのであって、そのリテラシーを有しない学者や評論家にだまされないようにすることが大切」
<感想>
 著者は世論が常に正しいとは主張していないが、それでも政治家や番記者の周りの「世論」よりも正しいし、安定しているものと捉えているようだ。ただ、世論自体については、宇野重規「私時代のデモクラシー」や、今読んでいる内田樹「街場のメディア論」における捉え方(結構シニカル)の方が何となく実感に合う。以上




 

2010年12月18日 | コミュニケーション | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

11月 社長を出せ!最後の戦い~VS伝説のクレーマー

(著者)川田茂雄(元・ニコン消費者相談室、宝島社)*10年1月28日第1刷
<きっかけ>
 本年6月頃著者の講演会に出席した同僚の報告を読み、興味を持と「社長を出せ!」シリーズ3部作を購入。しかし、本が届いた頃にはクレーム関係の本に少々食傷気味になっておりそのまま積ん読。今回公害調整関係の苦情対応の講演を読んだのを機にその最新作を読んだもの。
 本書は、水戸誠氏という著者の尊敬する伝説のクレーマーに対する愛情あふれる賛歌であり、正しいクレームの指南書でもある。私も正しいクレームは社会と人知を進歩させると思うので、本書を多くの人に読んでもらい、正しいクレームを実践して欲しいと思う。
<概要>
・水戸氏は神戸の小さな自動車修理販売業の経営者であったが、01年に亡くなったときには、多くの大企業の経営者等が参列し、著者の勤務するニコンの他2社(ソニー、大阪ガス?)からの「クレーム活動等への感謝状」が飾られていた。多くの企業が何十年にもわたり水戸氏と攻防を繰り広げ、水戸氏対策室や水戸氏番を作っていた。著者はニコンの水戸氏番に長年従事
・ソニーは「トランジスタ永久保証」を謳いながら修理代を取っていることを水戸氏から追求され、全国紙にお詫び広告を載せるとともに、「貰い過ぎた修理代」10億円を10年かけて名前を一切表に出さず社会還元した。
・著者の会社では、最高級機の故障原因が分からず対応に迷走した末、最後は経営者の責任を認め、社員教育、消費者の4つの権利を尊重するなどの反省文を提出し、以後長くお付き合いをすることに。
・本書は、著者が親しみを込めて「世直し爺さん型クレーマー」と呼ぶ水戸氏と著者との25年にわたるお付き合いの模様を克明に記録したもので、企業のクレーム対応や「水戸氏番」の仕事内容(毎月1回は訪問し7~8時間お話を聞く等)がよくわかる。
・水戸氏の特徴は、①もの、金では絶対に動かされない、②法律を決して犯さない、③問題の本質を徹底的に追及する、④攻め道具は類い希な優秀な頭脳であり、そのベースには、年間365冊の読書量、暗号部隊で鍛えた文章能力と並はずれた記憶力があるとのこと
・水戸氏は、ケネディ大統領の打ち出した「消費者の4つの権利(安全を求める権利、知らされる権利、選ぶ権利、意見を聞いてもらう権利)に大きな影響を受け、この考え方を先進的かつ有効に使って企業に改革を迫っていった。
・水戸氏は自分の好きな企業に良くなって欲しいと思って提案・意見しているので、常に真剣かつ厳しい態度であるが、言っている自分にも責任が生じると考えている。
・水戸氏とつき合う中で、ニコンやソニーは、水戸氏の提案に真剣に耳を傾け、その力を自社の発展に活用した。ソニーはお客様アンケートを全部水戸氏に見せ、水戸氏の分析に基づく提案を製品やサービスの改善に役立てていった。このことは結果として両社にとって大きなメリットとなった。
<感想>
 良い本だったが、端々に表れる著者の強い自意識、プライドには正直ついていけないものを感じた。

2010年11月28日 | コミュニケーション | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

11月 苦情処理の要点~できること、できないこと

(出典)公害苦情相談研究会における八王子市環境保全課佐藤育夫氏の講演(「ちょうせい」平成22年11月号)
<契機>
 今後ますます増えるであろう相隣関係型トラブルに、公害調整の手法や経験が役に立つのではないかと考え、総務省公害等調整委員会の機関誌をチェックしているが、その中で発見。長年の経験に基づくノウハウが具体的に語られており、役に立つ。ADRの育成と合わせ、このような古くからの行政型ADRにももっとスポットを当て、その経験を共有化する意義はあると思う。
<内容>
・著者は、20年間にわたり1万件以上の公害苦情を担当されてきた方
・最初は、「聴く」「それはお困りでしょう、の一言」「行政にもできないことは当然あるが、最初からそれを言ったらだめ、順序を間違えるとひどい目に遭う」など苦情対応の基本的なことを記述
・やはりメーンは、八王子市における公害調整の実態の記述「申し立てを受けたら少なくとも10回以上の対応をして記録に残しておく」「「10回以上動くといろんなことが見えてくる」「周辺調査では、車のエンジンを切ってから5分程度付近を周回して、バックグラウンドの音(静けさ)を知る」「申立者がいる場合音の測定はしない」「臭気の場合風上にも注意」「敷地内調査では、まず廃棄物置場を見て振動や臭気の手がかりとする」「騒音ではいくら壁など厚くしても換気扇から出てしまう」「換気扇では排気だけでなく、吸気とのバランスが重要」「振動では靴の裏に伝わる場合は基準を超えている」「必ず「通い箱」を見て取引関係をチェックしておく」
・「苦情解決は当事者どおしで解決するのが望ましいが、現代人はコミュニケーションが苦手なので、行政に相談が持ち込まれることが多いので、担当者が解決するという姿勢ではなく、当事者どおしの解決のお手伝いをするという感覚で従事した方がよい」
・印象的な事例では、突如できた24時間稼働の産廃保管場所の例では、出入りする車のナンバーから業者の違法行為を発見し、関係機関と協力して対応した例と、臭気を発生させながら行政指導に従わない業者の「通い箱」を見る中で親会社がわかり、そこに協力要請する中で子会社の態度が急にまともになった例を紹介
<感想>
 長年の経験に基づく話で大変おもしろい。行政ADRの役割をよく果たしていると思う。他の分野にも拡充できないか。

2010年11月27日 | コミュニケーション | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

11月 「「協調・対話」重視のグローバルトレンドとADRモデル」など

(著者等)京都弁護士会「紛争解決センター」10周年記念講演レジュメ「「協調・対話」重視のグローバルトレンドとADRモデル」(小林学)、法学セミナー2007年7月号特集「新しいADRの世界を見る」(和田仁孝等)
 *ADR;裁判外紛争解決手続
<契機>
 少なくなるパイを分け合う時代になると、残念ながら各種トラブルは増えていくと思う。そのとき一番良い解決法は、対話型でお互い納得し合うことだと思う。先日、そのような解決の仕組みを充実させていこうという京都弁護士会の意義深いイベントが開催された。そこでいただいた資料(残念ながら講演は聴講できず)と、以前購入していた法学セミナーの特集記事を読み、対話型紛争解決方法の現状と将来展望について学んだ。
<概要>
(1)「協調・対話」重視のグローバルトレンドとADRモデル(桐蔭横浜大学準教授小林学)
 ・アメリカで、50年代以降、訴訟爆発の対策としてミディエーションムーブメントが起こり、多様な調停モデルが開発された。日本では、ここ10年ほどの動き
 ・「競争・対立」のフィロソフィー(「他人の物差し」で勝敗や序列化)から「協調・対話」のフィロソフィー(各自が無限の可能性を秘めたオリジナルの存在)へ
 ・「協調・対話」重視のグローバルトレンド;ゲーム理論(非協力に対する協力の優位)、統合的交渉理論(立場ではなく利害に焦点を合わせよ)、マイクロクレジット(債権者との協調による債務者のエンパワーメント)等、根底にあるのは「可能性を引き出すツールとしての協調・対話」
 ・その中で、従来の調停などの問題点が明らかとなり(「競争・対立」のフィロソフィー、他人の物差しによる解決)、協調・対話のフィロソフィーによるミディエーションに脚光
 ・ADRの現状;全体の支配的トレンドは依然として競争・対立のフィロソフィー
 ・新たなフィロソフィーはなぜ共有されないか;①コンフリクトに由来する困難性(競争・対立に親和的)②専門家に由来する困難性(指示的姿勢の傾向)③法律家に由来する困難性(競争・対立の世界の住人)
 ・法とは、人を枠組みの中に強制的・権力的に押し込めるもの(競争・対立のフィロソフィー)だが、対話や議論を中心に据えて法を捉える立場(田中成明教授の対話的合理性など)もある。外的な法の世界の競争・対論と内的な法の世界の協調・対話のモード切替という高度の専門的判断が法律家に期待されている
  (以下、法律家、士業団体にとってのADR戦略の話のため省略)
(2)新しいADRの世界をみる(*発行年(平成19年)4月にADR法が施行)
 ・総論 ADRの基礎知識(早稲田大学教授和田仁孝)
  ADRを「裁判準拠型(裁判の補完・協働機関)」と「対話自律型(独自の自律的機関)」のいずれと捉えるか。ADR法は前者を想定し、日弁連はよりその性格を強めようとしているが、ADRを当事者間の私的自治を目指す対話のフォーラムと位置づける後者は、ADRに新しい視点を提供している。
 ・対話型ADRをどう理解するか(法政大学教授佐藤彰一)
  ミニ裁判所型のADRの将来展望はあまりない。紛争処理のプロセスは交渉のプロセスであり、また、カウンセリングの側面を見逃すことができない。関与第三者には紛争処理のセンスが問われる(→ケア型ADR)
  紛争処理の役割は、利用者の成長を助けること、すなわり利用者が自分をケアし、他人をケアすることができるようになることを支援することである
 (以下、医療事故紛争ADRの構築について現状の紹介や提言がなされているが省略)
<感想>
 裁判手続との難しい関係(自由に話したことが不利な証拠として採用されるなど)があるかもしれないが、基本的には、対話型ADRをもっともっと拡充させないといけないのだと思う。
 その際、士業団体やNPOなどが中心になるのだろう。その場合、一方当事者が行政のとき、行政側はそこに誠実に参加することが必要だが、意志決定の仕組みに法的制約があることもあり、なかなか難しいかもしれない。
 その場合、少なくとも自身が当事者になる場合、自身で行う(当然相手方に信頼していただける公正性と透明性が必要だが)ことも考えられるのではないだろうか。
 いずれにしても、上記佐藤教授の「紛争処理の役割は利用者の成長を助けること」はキーワードだと思う。そのためには、結局従事する人の資質と誠意が一番重要になるのだろう。それと、一定のADRにも民事法律扶助の適用は必要だと思う。以上

2010年11月06日 | コミュニケーション | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

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