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12月 ペンタゴン報告書 中華人民共和国の軍事力(2009年版)

(著者等)
 ペンタゴンが2009年3月25日にアメリカ議会に提出した報告書の全訳
<きっかけ>
 中国の軍事動向を初めて「地域・国際社会の懸念事項」と認定した新防衛計画基本大綱が今月17日に閣議決定され、それを巡って色々議論がなされている中、一番大事なのは彼此の現状がどうなっているかという事実の共通認識だと思い、以前買ったままになっていた本書を読むこととしたもの。
<概要>
(1)中国の戦略を理解する
 ・「中国の指導者は21世紀の最初の数十年を、地域的、国際的な条件が一般的に平和的であり、中国の地域的な卓越への台頭と全世界的な影響力にとり助けとなると考えている」
 ・「中国指導部の戦略的な優先的事項は、中国共産党の統治の永続化、経済成長と発展の永続、国内政治の安定的維持、国家主権と領土的一体性の防衛、大国としての中国の地位の確保である」
 ・「中国の戦略的行動を形成する上で、市場と天然資源、特に金属と化石燃料への確実なアクセスへの依存がますます重要な要因なってきている」
 ・「中国の現在の戦略は、経済発展に有利な環境を確保するため、対外的緊張を管理することであるが、それを実現する方策について、小平流の中国の過剰な国際的責任を避ける立場、中国がより活発で建設的な役割を果たすべき(周辺国に脅威を与えず)とする立場、中国をいじめる米国に対抗するためもっと強硬で自己主張的である必要があるとする立場などがある(が、12年の第18回党大会前に戦略の変更はないだろう)」
(2)中国の軍事戦略とドクトリン
 ・「中国の軍事戦略である「積極防衛」は「先手を取って的を殲滅すること」」「指導者たちは、中国の経済的、政治的力は海へのアクセスと海の利用に依存しており、強力な海軍にはこのようなアクセスを守ることが求められていると主張(「第1列島線」のみならず「第2列島線」までの「積極防衛」も想定)
  *列島線;「専守防衛」の説明参照 http://hnakazawa01.blog130.fc2.com/blog-entry-116.html
 ・「過度に秘密主義を好む中国の軍部指導者たちの傾向と、近隣諸国や既存の大国に世界の舞台における中国の影響力の拡大の平和的な性格を知らせて安心させようとする文民指導者たちの目的との間に矛盾が生じている」「秘密や欺瞞への過度の依存は、したがって、中国の能力、ドクトリン、戦略環境について外国人を混乱させるのと同様に、中国の指導者たちを混乱させることにもなり得る」
(3)兵力の近代化の目標と傾向
 ・「中国の軍事力は、台湾の独立を阻止し、北京の意向に添った条件で台湾が交渉せざるを得ないようにする能力(接近阻止、地域拒否能力)の確保に焦点」
 ・「短距離弾道ミサイルSRBMを1050~1150基、中距離弾道ミサイルMRBMを増強、対地巡航ミサイルLACMを150~300基、空対地ミサイルASMを保有・・・・・(以後、核兵器や宇宙開発などの戦略的能力について記述)」
 ・「中国の兵器購入などを分析すると、台湾以遠を考慮し、第2列島線をも超えて海洋の権益を守り増強せんとの中国の願望を反映している」
(4)兵力の近代化のための資源
 ・「北京の長期的目標は、人民解放軍の近代化の目標を満たすとともに、世界兵器貿易における最上級の生産国としての競争力を備えること」
 ・「中国の(公表された)軍事予算はここ20年間年率2桁の伸び率で増大、経済全体の成長率を上回る」「実際の軍事的支出を推定することは容易でない」「中国の立法部は人民解放軍予算を監査する仕組みを有していない」「08年9月、中国は国連事務総長に軍事支出の年次報告書を提出したが、標準方式でなく簡略方式」
 ・「人民解放軍は20年までに数隻の空母の建造を検討している」(本書の見立では、15年以前に作戦可能な
国産空母は持てないだろう)
(5)その他
  以下、「兵力の近代化と台湾海峡の安全保障」等の記述が続く。
<感想>
 中国と真に仲良くしていくためにも、外交、安全保障の柱を(ここに書いてあるように)具体的かつ明確にし、国民の共通認識にしていく必要があるのだと思った。それと、やはり心配なのは(本書も危惧しているが)人民解放軍などが中央政府によって効果的にコントロールされていないのではないかということか。以上 

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2010年12月24日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

11月 日本の逆を行くイギリスの議会改革

(著者)高見勝利(上智大学法科大学院教授)*岩波書店「世界」10年8月号
<契機>
 有斐閣宣伝誌「書斎の窓」10年11月号巻頭エッセイで、著者が、民主主義に対する管総理の「交代可能な独裁」という認識と仙谷官房長官の「熟議の民主主義」という認識(対極に位置する)を取り上げ、両者とも日本では通用しないが、特に後者は「高貴なる虚言」であると痛烈だが説得力のある批判を展開していたため、その原論文掲載誌を購入
<概要>
・90年代から日本の政治改革論者が理想としてきたウエストミンスター型議院内閣制~小選挙区制による総選挙で二大政党がマニフェストを掲げて覇を競い、過半数議席を獲得した政党の党首が首相となって強いリーダーシップを発揮しマニフェストで示した政策課題を実現する~は、衆議院とほぼ対等の権力を有する参議院が存在し、その選挙結果次第で政権の枠組自体が政局化する日本国憲法下では端からうまくいくはずがない。
・本家イギリスでも、議会制のあり方を根底から問い直されるような動き(地に墜ちた議会・議員への信頼を回復するため、昨年11月に下院改革委員会報告がなされ、それが漸次実施されていること)が見られる。
・改革の主な内容は、政府活動の監視を行う省庁別特別委の委員長や委員を「秘密」投票で選出することであり、根底には、議会が与党と野党の幹部に牛耳られ本来果たすべき政府に対する精査、追及機能が十分行われず、深刻な制度危機に陥っているという認識がある。(政府のプードル犬に堕している現状から脱し、ブルドックに変身する必要がある)
・これは、政府と国会与党の一体化を進める民主党とは真逆の方向である。
・この他、イギリスでは選挙制度自体の改革も進められている。労働党の提案するAV式(選択投票法)は、投票人は順位を付けて全候補者に投票し、定数1のポストで有効投票の過半数の得票者がなかったとき、最下位の候補者に投じられた投票をその第2順位の候補者への投票とする、という作業を繰り返していくもの。ちなみに、昨夏の日本の総選挙の小選挙区では、過半数を得た選挙区が213、得られなかったのが87であった。
・この動きについて、下院議長は講演で、「制度としてのウエストミンスターに静かな革命が進行しつつある」とし、「精査(政府に対し自らの説明責任を果たさせること)こそ下院たるものの絶対的核心である。それゆえ、下院とは精査が行われ、そして極めて重要なことであるが、精査が行われていると国民から見られる場である。これが多くの者から議会が尊敬される上において根源的なものである」
・(以下「書斎の窓」)「「議員は、市民としては賢明なのに、議会の敷居を跨ぐや豹変、党派の指示に追随する中でその体質に染まり、本来無縁であった蛮勇と頑固さを身につけ、所属政党の方針に盲従するプードル犬に過ぎなくなる」というジョナサン・スウィフトのイギリス下院に対する洞察が我が国の国会にも妥当するとすれば(→著者は妥当すると思っている)、国会を熟議の場だとする言は高貴なる虚言と評する外ない」「政治家同士の「熟議」ではなく、政府法案の精査とともに、政党間の政策論争から妥協点を見いだす努力、すなわち調整(法案修正)こそが国会本来の姿である」
<感想>
 「熟議の国会」と言うのが悪い冗談のように聞こえてしまう現在の政治状況の原因と展望をよく捉えた好論文だと思うが、作られた話題や争点に乗せられやすいメディアや私たちの現状から考えると、著者の主張する精査と調整の議会を作っていくのは大変だろうと思ってしまう次第。以上

2010年11月30日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

11月 アメリカ外交50年

(著者)ジョージ・F・ケナン(岩波学術文庫)*00年10月16日第1刷発行
<契機>
 山本七平さんの「日本はなぜ敗れるのか」で日米彼此の違いを再認識し、以前から読みたいと思っていたアメリカ外交論の教科書的本に挑戦。著者は、冷戦時の「封じ込め政策」の立案者と言われ、外交を全体的見地から検討する国務省初の常設ポスト(政策企画室)の責任者を務めた外交官(第1部当時)。その後学界に転じ、左翼的立場に立たないベトナム戦争批判者としても知られるとのこと。大部だが一気に読ませる、まさに名著、読み継がれるべき本であることを実感
 
<第1部アメリカ外交50年(1951年シカゴ大学における講演)>
・講演当時アメリカが直面していた政治的、軍事的危機のよって来たるところを探ろうと、危機の出発点と考える20世紀当初からのアメリカ外交を批判的に振り返ったもの
・まず、アメリカが初めて植民地を獲得したスペインとの戦争は、「戦争に至らざる手段による解決の可能性が全然消滅したと言い得ないような状況の下において、議会及び国民の強力な要求に屈服して他国への戦闘行為を開始した」もので、「その最大の失敗は、「政府の正しい権力はその淵源を被治者の同意に発するとの命題に基づいて建国したわれわれアメリカ人は、いったいいかなる権利によって、彼らを市民としてではなく被支配者としてわれわれの組織内に包容しようとするのか」という問いを無視したことである」とする。勝利した戦争についてこのように言えるのが何よりもすごいし、それが外交の古典として読み継がれるのもすごいと思う。
 なお、著者のこの立場の根底には、建国の理念というよりも、遠く離れた植民地を経営することは政治的にも経済的にも大変なことであり、その犠牲を受け入れる国民的覚悟がないままには引き受けるべきではないという冷静でプラグマティックな分析がある。
・その後アメリカは、「中国における門戸開放原則の提案など、現実的には意味がない(何ら具体的な成果をもたらさない)が、国民(国内)的には自国のプレゼンスを示すものと歓迎される政策に固執し、それが、特にロシアの南下に深刻な危機感を抱いていた日本帝国の死活的利益と対立することになった」とする。
 余談だが、著者は、日本がロシアの南下を阻止するために行っていた政策が、結果としては極東地域の勢力均衡(政治的安定)に役立っていたとし、第二次大戦後アメリカが、それ(日本が半世紀にわたって担ってきた問題と責任)を引き継がざるを得なかったことが戦後のアメリカの苦しみの原因になったとも考えている。
・第一次大戦の経過は、「一度戦争が始まれば、それまでの冷静な考え方(勢力均衡論、戦争を余り長く維持するとヨーロッパの均衡を破壊し、力を枯渇させるから、混乱を最小限に止めかつ将来への最大の安定をもたらすような基礎に立って戦争をできる限り早く集結させようという考え方に結びつく)が一夜にして、「全面勝利をもたらすまで徹底的に闘わなければならない」という考え方に切り替わってしまうという民主主義の奇妙な特徴をよく示したもの」だったとする。
 その結果、事態は「かつてウィルソン自身が批判していた「敗戦国に苦痛と怨念と苦々しい記憶を残す、砂上の楼閣のような講和」となった。
・「二大戦前の世界の陸軍力と空軍力の圧倒的部分は、ナチス、ソヴィエト、日本の3つの全体主義国の手に集約されており、日本だけは米英で撃破できただろうが、ナチスとロシアはおそらく不可能なほど強力であったので、米英はこのいずれかと手を結ばざるを得なかった、したがって、この戦争は最初から、完全な勝利のあり得ず、勝利しても大きな制約が課される運命にあった」「二大戦は一大戦の結果に当然含まれていた、ドイツ国民が大した抵抗もせずにヒトラーを自分の支配者として迎える心境を持つに至ったとき西側は既に大きな敗北を期していた」「二大戦の最大の過誤(←こう言えることがすごい)は、指導的地位にある人の下した軍事的諸決定いというよりも、社会全体が取った態度と理解の仕方にこそあった、すなわち、いずれかの全体主義国と協力し代価を払ってのみ遂行可能な戦争であったことへの無理解、より本質的には、戦争一般が民主国家の目的を達成するための手段として限界を持っている(それ自身ではいかなる民主的目的に対して積極的に貢献することはない)ことへの無理解である」
・そして、最終章で、有名な見解「われわれが過去において政策樹立にあたって犯した最も重大な過誤は、いわゆる国際問題に対する法律家的、道徳家的アプローチのうちに求められる」を述べ、「その最大の欠陥は、法律家的観念と道徳家的観念の不可避的な結合、つまり国家間の問題に善悪の観念を持ち込むことである」「それは、明らかに戦争と暴力をなくそうとの熱望に根ざしているのだが、国家的利益の擁護という古くからの動機よりも、かえって暴力を長引かせ、激化させ(全面戦争、全面勝利!)、政治的安定に破壊的効果をもたらす」「そもそも全面勝利は勝利者の幻想、人の心を征服しない限り、相手国民全部を殺戮する以外になく、全面勝利という観念ほど危険な妄想はない」と喝破する。
・そして、「我々が理解できるのは自身の国家的利益だけであること認める謙虚さを持とう、そして、それが他国民に対して尊大、敵意、優越的妄想にとりつかれていない限り、我々の国民的利益の追求は必ずやよりよき世界をもたらすものである」とし、「その発想において現実的であり、我々自身及び他の人々をともにあるがままに観察しようとする努力に基礎を持つところのものは・・狭量であることはあり得ないのである」と結ぶ。
←この最終章は、訳文を読むだけでも大変格調が高く、まさに名文(内容が説得的であることが当然の前提)

<第2部、第3部>
・第2部は、フォーリン・アフェアーズ47年7月号に「X」名で掲載されケナンの名と「封じ込め政策」を国際的に有名にした「ソヴィエトの行動の源泉」と、同じくフォーリンアフェアーズ51年4月号に掲載された「アメリカとロシアの将来」から成る。ともに、その冷静な現状認識、ソ連の軍事的意図を過大に評価し感情的な対応を行うことへの厳しい批判、そして、既にソ連の崩壊を正確に予測するかのような様々な記述に驚く。
・第3部は、第1部の講演から30年ほど後の2つの講演「ウォルグリーン講演(←シカゴ大学講演)の回顧」「アメリカ外交と軍部」が掲載。二大戦後のアメリカが核兵器を軍備の主柱に据えたことやベトナム戦争に対する鋭い批判が展開されている。

<感想>
・第1部から、30年後の第3部まで通しで読むと、ケナンの立場が一貫していること、そして、「現実主義」の持つ現実との緊張感、革新性を実感できる、外交に関係ない多くの国民が読むべき(読んで価値のある)真の名著だということがよくわかる。
・本書は「日本は~」における山本さんの主張の格好の裏付ともなっており、アメリカの健全性、懐の深さをよく表してはいると思うが、ベトナム戦争やイラク戦争、そして最近のティーパーティへの支持の広がりも同じアメリカであり、それらをどう見るか悩むところ。ちなみに、本書は「現実的であることが進歩的でないはずがない」というケナンの名言の出典とされるが、ついにそれを探し出すことはできなかった(第1部最後の文が(違う訳だが)それのような気がするが・・)以上

2010年11月21日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

11月 専守防衛~日本を支配する幻想

(著者)清谷信一(ジャーナリスト、祥伝社新書)*10年3月10日初版第1刷発行
<きっかけ>
 中国漁船の問題が紛糾する中、本屋で平積みになっていた本書を購入。最初の部分は、ネット掲示板のタネ本的(自信過剰で他者に対して侮蔑的)論調で、読むのをやめようと思ったが、著者専門の軍事関係の記述となる中・後半は一転して冷静で説得力あるものとなり、一気に読ませられた。全体としてはまともな本だと思う。
<概要>
・まず孫子の「百戦百勝は善の善ではない、戦わずして相手を屈するのが善の善だ」という記述を引き、「専守防衛は、抑止力が効きにくく戦争を誘発しやすいので、孫子の言葉を実現しにくい戦略であり、専守防衛を徹底しようとすれば必然的に重武装にならざるを得ない」とする。
・「シビリアンコントロールのない国」の章では「日本のように内局官僚が自衛隊を統制するのは異例、軍と官僚が車の両輪となり、それを政治家や政治任命の人間が統制するのが本来のシビリアンコントロール」「日本は政治家が制服組とまともに向き合わず、政治家たちが負うべき責任を軍人に押しつけているだけで、シビリアンコントロールなどではない」「実際、日本の防衛予算のようなドンブリ勘定以前のいい加減な策定・執行を許している(内閣も国会もチェックしていない)国はない」「だから制服組は政治家を軽く見る」
・「日本の防衛は隙だらけ」の章は、色々具体的事例を挙げて、専守「防衛」になっていないことを警告
・「冷戦は終わっていない」の章は、各国の軍事力の分析で、ページ数も一番多く読ませる。「ロシアは量的にも質的にも日本と事を構えられる状況にない」「北朝鮮の最大の問題は国家崩壊の時、その場合も含め、韓国は日本にとって潜在的脅威」「最大の脅威は中国だが、中国に日本を占領するような意図も能力もない」「中国艦船の違法行為に断固たる処置を執ることが大事、中国は対米防衛戦として、第1列島線(九州~沖縄~(尖閣)~台湾~フィリピン~マラッカ海峡)と第2列島線(伊豆諸島~小笠原~グアム~パブアニューギニア)を引き、第1は10年までに、第2は20年までに防御を固めるとしている」「中国は日本が手荒なことをしないと知っているので大胆な行動を取る」「中国にとって武力衝突の可能性が最も高いのはインドで、アフリカとのシーレーンの脅威となるなど、そのため中国はミャンマー政府からベンガル湾沿港湾施設の利用権を得ている」「戦略的にインドを支援するべき」
・「日米同盟は信用できるか」の章では、「日米同盟に対するメディアの報道を疑うべき、日本関連の政策で食べている人たちからのマッチポンプ的情報が多い」とし、安保はアメリカにとっても必要なものであり、また、「日本は駐留米軍1人あたりの負担経費が世界で断トツの1位(2位イタリアの4倍弱)」などの実態を述べた後、「思いやり予算の廃止、横田基地の廃止」などの提案、そして、「貧すれば鈍す」のアメリカにだけ頼らず、日本は、自らにとって最重要な国境線(水際)を守る、自衛隊と警察の中間的な国土保安隊を作り、現在の無駄な自衛隊の予算を活用し、また、人員は現代の屯田兵として、島嶼防衛に従事してもらうなどの政策を提言している。
<感想>
 細部についてはよく分からないが、日本の政治家の人たち(=国民)が自衛隊にまともに向き合ってこず、シビリアンコントロールが形骸化している悲劇は指摘のとおりだと思う。「本音と建前」などの旧来の悪習から抜け出して、対内的にも対外的にも真の「対話」をしていかなければいけない、その時、著者のような軍事情報をよく知る人の意見などは冷静に聴かないといけないのだと思う。以上

2010年11月21日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

11月 河野裕子さん2冊

(著者等)「逝く母と詠んだ歌五十三首」(永田紅、文藝春秋10年11月号)
     「河野裕子」(シリーズ牧水賞の歌人たち7)伊藤一彦監修、真中朋久編集*10年9月20日初版第1刷
<契機>
 著名な歌人で、京都府あけぼの賞も受賞された河野裕子さんが今年8月12日に亡くなられた。恥ずかしながら、生前に河野さんの歌は読んだことがなかったが、文藝春秋11月号の娘さんの手記で、絶筆11首中の「あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき」や「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」に触れ、圧倒的な言葉の力に感動し、没後に刊行された「河野裕子」を購入。歌関係の本は20年位前に俵万智さんの3部作を購入して以来。
 言葉の魅力、可能性、恐ろしさなどをよく感じさせてくれる本で、編者が11月9日の京都新聞夕刊に書かれていたように「むしろ今から多くの人に河野さんの作品を読んでもらいたい」と本当に思うし、読む人の年代や環境に応じていろいろなことを感じさせてくれる歌の数々だと思う。 
<概要>
・邪道とは思いつつ、やはり、編者が選んだ「代表歌300選」がよい。第1歌集「森のやうに獣のやうに」から第13歌集「母系」まで(刊行された歌集は第14歌集「葦舟」まで)の代表的な歌が時代順に取り上げられている。生の発露のような第1歌集から、結婚、出産、子育て、アメリカ滞在、様々な賞の受賞などを経て、乳ガンの発病、手術、転移(発病時の第10歌集は「日付のある歌」)、お母様の病気から死去に至る、それぞれの時期の歌を読むことができる。印象的だったものを列挙する。
(第1歌集)たとへば君 ガサッと落ち葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
      夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと
      あたたかく寂しき抱擁 あなたより先に生まれて何の羞しさ
(ひるがほ)まがなしくいのち二つとなりし身を泉のごとき夜の湯に浸す
      燭近く眼のちり取りてやりし後不意になまなまと妻と思ひつ
      しんきらりと鬼は見たりし菜の花の間に蒼きにんげんの耳
(桜森)  たつぷりと真水を抱きてしずもれる昏き器を近江と言へり
      子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
      頬を打ち尻打ちかき抱き眠る夜夜われが火種の二人子太る
(はやりを)さんざめく男らの端に柿の皮器用に剥き終へ用なくわれは
      チョークの矢道に書き継ぎ帰り来て「木にも壁にも描いた」と子言ふ
      たつたこれだけの家族であるよ子を二人あひだにおきて山道のぼる
(紅)   千代紙や独楽を交易の具となして現地小学校に子は馴染みゆく
      ひらがなでものを思ふは吾一人英語さんざめくバスに揺れゆく
(歳月)  歌はれし妻われは常に妙な妻、未完の一首卓上にあり
      こゑ揃へユーコサーンとわれを呼ぶ二階の子らは宿題に飽き
(体力)  椅子の背を両手でつかんでもの言ふはこゑにまつすぐの力欲しきとき
      書くことは消すことなれば体力のありさうな大きな消しゴム選ぶ
      かうなれば可愛い婆ちやんなるしかない 軽い丸メガネを買ひにゆく
(家)   二人しか居ない子のまづ上の子が出でてゆきたる 歯刷子置きて
      夏至はもう何年もまへのことに思はれて変に静かな夏ばかり来る
      死ぬるまで私は歌人か、鶴みたいに羽を抜き続けそれでもいいか
      じゃがいもを買ひにゆかねばと買ひに出る この必然が男には分からぬ
(歩く)  さびしさよこの世の外の世を知らず夜の駅舎に雪を見てをり
      会ふたびにらつきよのやうになりてゆく小さなあたまの人なり母は
      竹箒二本買ひ来て落葉らと戦ふやうに掃くうちに冬
      よその家の台所は勝手が分からんと帰り来し息子が俎板使ふ
      あと何度こんな前夜が来るだらう下着改めて家事のメモして
      一文字に切られし胸を人は知らずショールをかけて風花の中ゆく
      歩くこと歩けることが大切な一日なりし病院より帰る
(日付のある歌)大丈夫さと言ひてごろんと寝入りたりそんなものでせうかとつられて寝ねぬ
        何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない
        明日になれば切られてしまふこの胸を覚えておかむ湯にうつ伏せり
        ああ寒いわたしの左側に居てほしい暖かな体、もたれるために
(季の栞) 足の指一本一本たいせつに素足で歩く踵を立てて
      灯ともさぬ階段に腰かけ待ちてをり今日は君だけが帰りくる家
      喋り過ぎすつからかんになつてしまひ馬穴のやうにがらんと転がる
      そのときを身体は記憶す手術台に真一文字に胸は切られて
(庭)   逃がしても逃げてもいけないこの身体、術後一年まだ痺れゐる
      二日まへに京都の家へ来てくれしつきゐし杖も柩に入るる
      挨拶のつもりで言ひくる誰彼のお身体如何 もう放つといて
      頭がぼおつとと言ひて少し置き母は再た言ふあたまがぼおつと
      今ならばまつすぐに言ふ夫ならば庇つて欲しかつた医学書閉ぢて
(母系)  ユーコさん元気でね青空があをいまま山に沈みゆく
      倒れ伏しそれでも咲きゐるコスモスにしづかな寒さが降りてゐるなり
      病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ
      京都で何があつたのと母は言ふ額に額あてて私が泣けば
      死んでゆく母に届かぬ何もできぬ蛇口の水に顔洗ひ泣く
      死ぬことが大きな仕事と言ひゐし母自分の死の中にひとり死にゆく          
・本書には、この他、様々な方の様々な視点からの解説、それと自歌自注(代表作とされている「たつぷりと・」について、ご自身も夫君も当時それほどいい歌だと思っていなかったという話など)もあり、大変読み応えがあるが、上に掲げたものを見るだけでも、やはり歌自体を読むのが一番よくわかるのではないかと思う。
・素の自分をさらすことを恐れず、むしろ自分を少し突き放して興味深く見つめる河野さんの姿勢、覚悟のようなものに共感するし、感動もする。
・最後の「作歌あれこれ」では、多産(最高で三日で二百数十首、「息ひとつ衝くと歌ひとつになって出てくる」と評している方も)、厳選しない、推敲もしないですぐFAXしてしまうなど、河野さんの歌作りの現場がかいま見られて楽しい。(「四年まへ乳腺外来に行きしかど見過ごされたりこれも運命か」などについても語られているのにはびっくりするが)
 また「河野裕子を詠んだ歌」も大変ユニーク。最後に、絶筆11首が掲げられている。
<感想>
 ただただ感動、迫力にも圧倒。以上

2010年11月11日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

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