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5月 <私>時代のデモクラシー

(著者)宇野重規(岩波新書)*10年4月20日第1刷
<読んだ経緯>
・「孤独なボーリング」や「生活保障」などを読む中で(1)今の時代に必要な福祉国家を構築していくには新しい形のソーシャルキャピタルを意識的に作っていかなければならない(2)しかし、人々が連帯感を持ちづらい現代社会でどうしたらそれが可能なのかについて考えさせられた。そんなときちょうど本書が発刊。「私」と「デモクラシー」を結びつける方法に示唆を得られるかと思い購入
・期待した事柄だけでなく、(地方分権の重要性に対する認識がないなど不満はあるが)政治や社会を分析する新しい考え方について多々学べる良書だった。
<はじめに>
・「この本は、<私>という視点からデモクラシーを考える本」「現代において<私>が<私>らしくあることはとても魅力的であると同時に、日々<私>らしくあることを求められるということはつらいこと」
・「近代の目標の一つは人々を縛り付けてきた伝統や人間関係から個人を解放することだったが、今や「ソーシャルスキル」一人一人の個人がスキル(技術)によって人間関係を作りだし維持していかなければならない時代、人と人とのつながりは個人にとっての財産(資本)となり、自覚的に関係を作らない限り人は孤独に陥らざるを得ない時代」
・「デモクラシーは<私>ではなく<私たち>の力によって生み出していくもの、今の時代<私たち>を形成するのは困難、全ての選択を個人に委ねてしまうことは、その負担を重くするだけでなく社会を意味づけ改革する点でも問題」
<第1章平等意識の変容>
・「現代を特徴づけるのはグローバルな平等化の波(政治的覚醒)、個人も国家も単に平等に扱われるだけでなく、オンリーワンであることを認めてもらいたい」
・「トクヴィルの平等論が問題の本質理解に役立つ。トクヴィルのいう平等化は、人々を隔てていた想像力の壁が崩れ、それにより改めて人々の間の平等・不平等をめぐる意識が覚醒すること、平等であることに誇りを感じる個人は、同時に平等でしかないことに不安を感じる、平等社会の個人にとって多数派に異を唱えることは容易ではない、多数の声に立ち向かうだけの根拠を自分の中に見いだせない、このような鋭敏かつ不安定な個人の、平等・不平等をめぐる意識の振幅が社会を揺るがすとトクヴィルは考えた」
・「「閉じた共同体的空間」(苅谷剛彦)「仕切られた生活保障」(宮本太郎)が解体・弱体化し不平等が可視化、「「代理としての子ども」意識の消失(佐藤俊樹)による不平等感が爆発」「不平等の是正には国民の社会的連帯の意識が不可欠だが、それは未成熟」「不平等は一人で受け止めていくしかないという思いが<私>の平等意識をますます刺激し、しかも、行き場のない不安へと誘う」「平等社会の個人の意識は否応なく「いま・この瞬間の平等」に集中していく」「このことは、長期的に考え、<私>の利益と<私たち>の利益が一致する可能性を考える(=正しく理解された自己利益)デモクラシーを困難にする」
<第2章新しい個人主義>
・「人々は、日々<私>を見つめ、絶えずチェックし、コントロールする、これができない人間は自己管理能力の欠如を非難される→常に自己啓発を求められる社会、オーディット文化(どんな人も機関もいたるところで説明責任を負わされる)の社会、セラピー文化の社会、ノーロングターム(長期思考はダメ)の社会、待つことができない社会」
<第3章浮遊する<私>と政治>
・「不満は私事化され、社会を変える力にはなっていない」「民意は見えにくく選挙の数だけ民意があり脈絡はない」
・「現代のデモクラシーは多数者支配ではなく、自分らしくありたいと思う一人一人の個人の声と向き合うこと、個別化し断片化した声をくみ上げ、そこに共通する地平を築くような高度の感度を持ったデモクラシーが求められている」
・「不安や不満が募っているにもかかわらず、それが適切に代議制デモクラシーの回路に接続されていない状況が続くと政治に対する絶望やシニズムが増大するとともに、たまった政治的情念のマグマが代議制の外に噴出場所を求める」
・「エクレシア(公的領域)とオイコス(私的領域)を繋ぐアゴラ(広場)の(再組織化の)重要性」
・「新しいナショナリズム参加者は、ある種の不安や空虚さを抱えながら、束の間の解放感を求めて「歴史という居場所」「日本という居場所」に集う普通の市民、従来の政治の言葉によっては表現回路を見いだせない人たちが希望を見いだした」「これは世界的傾向(パラノイア・ナショナリズム、「憂慮する市民」)、社会内部の「脅威」にも向かい分断や対立を固定化する。抵抗勢力、公務員、高齢者、若者などバッシングの対象は転々、自分がされないため誰かをバッシングという悪夢」「<私>の問題を<私たち>の問題へと媒介するデモクラシーの回路を取り戻すしかない」
<第4章<私>時代のデモクラシー~むすび>
・「ドラッガーが、日本にとって最大の問題は経済ではなく社会(=そこに暮らす諸個人にしかるべき位置と役割を与えるもの)だと言うことの意味」「社会は、承認(希望)という希少財を個人に分配するメカニズムであるが、グローバル化時代の国家は(自国が魅力的な投資先であることをアピールする「美観の管理人」機能が優先され)社会に積極的に介入しようとする意欲を欠く(ハージ)」
・「本書の主張は、(1)<私>は、<私>の実現のためにも社会を必要とするということ、(2)<私>の意識こそが歴史の発展を生み出すということ、(3)<私>意識の高まりがデモクラシーの活性化を求めるということ
<感想>
・大変勉強になる本だったが、(読み手の力量の問題もあるが)最後(「ではどうしていけばいいか」)になるにつれ、抽象的になってしまった感じがした。
・この役割は政治家などにかかっているということかもしれないが、私などは、上記の「アゴラ(広場)の再組織化」が最も重要だと思う(ソーシャルキャピタルも含めて)。その意味で、国政の役割を狭め、地方分権を進め、人々に「デモクラシーの見える範囲」を大幅に拡大し、そこへの参加、監視を進めることこそが、一番大切なことだと思う。その意味で、地方自治やNPO等の市民活動に対する言及がほとんどなかったことは大いに不満で、残念だ。
・著者は講談社PR雑誌「本」の今年4月号から「政治を哲学する」という連載を開始。こちらも勉強になりお勧め。

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2010年05月30日 | ソーシャルキャピタル、ガバナンス | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

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