スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--年--月--日 | スポンサー広告 | とっぷ

7月 それでも、日本人は「戦争」を選んだ

(著者)加藤陽子(朝日出版社)*10年3月30日初版第14刷
<読んだ経緯>
・6月の東郷さんの講演会で近現代史も勉強しないといけないと思い、以前買ってあった岩波新書の近現代史シリーズを読もうとしたが、長い(10冊)のと内容がわりとつまらなそうだったので後回しとし、高校生向けに書かれ、よく売れている本書の方を先に読むことにした。
・題名も、先の大戦は(軍や一握りの指導者に引っ張られた訳でなく)「日本人」(の大半)が選んだことではないか、したがって、国民は被害者だけでなく加害者でもあったのではないか、だから当時の軍がアジアの人たちにかけた迷惑は現在の国民も自らのものとして受け止めないといけないのではないか、という私の問題意識とも合っているような気がした。(しかし、著者は必ずしもそのような問題意識ではなかったが)
<序章日本近現代史を考える>
・「9.11のアメリカの感覚は、戦争相手を打負かすというより国内法を犯した邪悪な犯罪者を取り締まる感覚、これは廬溝橋事件後の近衛政府の「爾後、国民政府を対手とせず」声明の時の日本人の感覚と同じ、戦争ではないとし戦いの相手を認めない感覚(他国と認識がずれていてもそれに気づかない)」
・「歴史は1回しか起こらないから教訓にならないといわれるが、一つの事件の経過は次の事件に影響を与える。ソ連は、レーニンの後継者を決める際トロッキーでは第二のナポレオンになるとして田舎者のスターリンを選んだ、日本でも、山県有朋が第二の西南戦争を起こさないため統帥権の独立を定めた」「これは、政治的に重要な判断をしなければならないとき、人は過去の出来事について、誤った評価や教訓を導き出すことがいかに多いかと言うこと」「アイネスト・メイ「歴史の教訓」によると、①外交政策の形成者は、歴史が教えたり予告したりしていると自ら信じているものの影響をよく受ける、②政策形成者は、通常歴史を誤用する、③政策形成者は、そのつもりになれば、歴史を選択して用いることが出来る」「歴史を学ぶことは、生き、選択していく上で大きな力になる」
<第1章日清戦争~「侵略・被侵略」では見えてこないもの>
「民権派、反政府といっても、ことが外交や軍事に関する問題になると福沢や山県の考えていることとあまり変わらない」「国会開設第一という民権派の論調も対外的に国家の力をどう集約してゆくかとの観点からのものが多かった」「日露戦争の時と違い、民権派は日清戦争に反対しなかった。戦費は(政府でなく)自分たちが作ったという自負があったことが大きい。また、国内官僚は藩閥が独占しているので、新たな領土を得て新たな官僚ポストを得ようとする気持ちもあった」
・「日清戦争の国内的影響は、普通選挙運動の進展(戦争で得たものを外交で奪われた(三国干渉)、もう政府に勝手なことはさせない)」
<第2章日露戦争~朝鮮か満州か、それが問題>
・「日本の国民のかなりの部分と支配層の一部は日露戦争の開戦直前まではむしろ厭戦的であった」「中国においては日本留学ブームが到来していた」「ロシアの方が開戦に積極的で、山県などは開戦1月前まで交渉継続を主張」「戦争で中国は中立の立場だったが、事実上は日本に協力」
・「日露戦争の国内的影響は、増税で選挙権者が戦前の2倍となり、地主が減り実業家等議員が増えたこと」
<第3章第一次世界大戦~日本が抱いた主観的な挫折>
・「日本では一大戦の始まりから、同じ連合国のイギリス、アメリカへの反感が芽生えていた」「パリ講和会議は、日本は主観的には大きな挫折感を抱いたが、客観的にはベルサイユ条約はほとんど日本の要求どおりだった。政治上経済上の問題よりも意識の問題、アイデンティティの問題の方が人々の中に大きな傷を残すことがわかる」
・「一大戦後、国内で多くの国家改造論。モデルとしてきたドイツがなぜ敗れたのかという強烈な問題意識。主な要求①普選②身分的差別撤廃③官僚外交打破④民本的政治組織樹立⑤労働組合公認⑥国民生活保障⑦税制の社会的改革⑧形式教育解散⑨新領土(朝鮮、台湾、南洋)統治刷新⑩宮内省粛正⑪既成政党改造」 
<第4章満州事変と日中戦争~日本切腹、中国介錯論>
・「満州事変は関東軍参謀の謀略により起こされたもの」「満州事変の前に大半の国民は武力行使を当然と思っていた」「満州は国家関連の投資が大半で、紛争等に民間からの批判が起きにくかった」「ずれていた意図(軍人たちとそれに踊らされる国民」
・「リットン調査団は、人選や派遣の経緯からいって、関東軍等がよほどひどいことをしなければ日本有利の報告書が書かれていたもの」「吉野作造は報告書を高く評価し、渇しても盗泉の水は飲むなと教えられて来たはずと嘆いた」「宮中や国際連盟を脱退した際の代表の松岡洋右でも、連盟との全面対決はやめた方がいいと思っていた」「しかし、それも軍の暴走で妥協の可能性がなくなり、 日本は「すべての連盟国の敵」となった」
・「日中戦争に向けた時代、本来政治に関与してはいけない集団(軍)が、政治がなかなか実現できないような政策、多くの人々の要求にかなっているような政策を実現しようと見え、国民は軍のスローガンに魅せられた」「疲弊した農民救済のため、義務教育費の国庫負担、肥料販売の国営、農産物価格の維持、耕作権などの借地権保護。労働問題については、労働組合法の制定、適正な争議調停機関の設置などが陸軍統制派の政策にあった」
・「日本が軍の課長級の暴走に振り回される中、中国には曲がりなりにも政治、政治家の覚悟があった」「真珠湾攻撃のときの中国の駐米大使であった胡適は、日本との戦争に勝利するため、アメリカとソビエトを巻き込む必要がある、そのためには中国が日本との戦争を正面から引き受けて2~3年負け続ける必要があると、蒋介石等に具申(日本切腹、中国介錯論)」
<第5章太平洋戦争~戦死者の死に場所を教えられなかった国>
・「太平洋戦争開戦で南原繁など一部を除き多くの国民は「歴史は作られた」(竹内好)などと歓迎した」「戦争をどうしたら終わらせることができるか一番心配していたのは昭和天皇」「それに対して軍部は他力本願、数字のマジックで答えた」「しかし当時も「日本は(持久)戦争をする資格のない国であると主張する軍人もいた(水野廣徳)」
・「それでも日本人は必勝を信じていた。しかし、戦時中も開いていた株式市場はそれなりの動きをした」
・「日本人はドイツ人に比べて大戦に対する反省が少ないといわれる。太平洋戦争が受け身の形で語られることが多いのはなぜか。44年から敗戦までの1年半に9割の戦死者を出しているがその9割は遠い戦場でなくなった。日本はこうして死んでいった兵士の家族に彼がどこでいつ死んだのか教えることができなかった国」
・「過去を正しく見つめるドイツ、などいいかげんにしてくれと言う人も多いが、正確なデータは直視すべき」「捕虜となり死亡したアメリカ兵、独軍捕虜の場合は1.2%、日軍の場合37.3%、日本軍の捕虜の扱いのひどさはやはり突出していたのではないか」「自国の軍人さえ大切にしない日本軍の性格が影響している。ニューギニアでは戦死者でなく餓死者が大半だった」
<感想>
・大変有意義な本だったので、続けて「東京裁判」を読むこととした。以上

スポンサーサイト

2010年07月30日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。