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9月 「網野史学」の本(2冊)

(1)追悼記録網野善彦(赤坂憲雄(東北芸術工科大学大学院教授)編、洋泉社新書Y)*06年10月21日初版発行
(2)歴史と出会う(網野善彦著、洋泉社新書Y)*00年5月22日初版発行
<契機>
・東大出版会「UP」の8月号で「(網野さんは)膨大な東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)を読み解き、その調査から出発して、後に網野史学と称される研究を打ち立てた」(五味東大名誉教授)と、京都府(総合資料館)所蔵の国宝文書と網野史学についての記述を発見。網野史学については「もののけ姫」の独特の雰囲気のネタ本というようなイメージしかなかったので、この際と思い、手軽そうな2冊をアマゾン中古で購入
・鋭く魅力的な歴史観(ファンも多いが学会主流派は冷淡)だということはわかったが、中世などが中心のためこれ以上読み進もうとは思わなかった。
<概要>
(1)の本(死後2年ほど経過した時点でそれまでの各種追悼文等を編纂したもの)
 ・まず、編者であり「東北学」提唱者として知られる赤坂教授が書き下ろしで「網野史学の孤立」を語る。「学問の内実と言ったレベルでなく結局は歴史学会をめぐる知の地政学(が孤立をもたらしている)という疑念を払拭できない」「網野さんの歴史観そのものを「空想的浪漫主義」と断じて見せた(学会主流の)永原慶二氏を(網野氏の)傍らに配するとき、リトマス試験紙となるのは「無縁・公界・楽」への評価」「網野さんは、列島の歴史像を農業や農村といった有主、有縁の世界ではなく、非農業民的な無主、無縁の世界を基盤として描こうとした」「これから網野史学の第2楽章が始まる(マイネッケ流の「国民史」を脱却し、ブローデル流の重層的なネットワークの史学」へ)」
 ・その永原慶二・一橋大学名誉教授の追悼文「網野史学は70年代前半の、人々が「近代」に疑問を持ち出した状況に対応。厳しい身分制社会と捉えられていた中世という見方を疑い、海、川、山野など領主権力の及びにくい「公界」的空間を生業の場として自由に生きていた人々を見いだした」「しかし、悪しき近代に対置した中世の自由世界という構図は、現実における複雑な支配や貧しさと切り離される傾向が強い」「氏の描いた多彩で闊達な非農業民が、国家・権力の支配や民衆的多数者としての農民とどう関わったのかという全体像に迫るのが残された者の課題」→これはこれでそのとおりだと思う。
 ・各論考からわかる網野史学、網野さんの業績とは、「①人間が本来持っている「原始の野生」(自由さ)が国家や権力によって失われていく過程として歴史を読み解こうとした、②権力の及ばない空間である「無縁」の存在を明らかにし、中世の都市をそれに準じる自由の横溢した世界として捉えた、③これまで見過ごされてきた商人や職人、被差別民、女性などが歴史の中で果たしてきた役割を掘り起こし再評価した、④「百姓は農民だけではない」と強調、農業を中心に構築されてきた従来の水田一元史観を批判した、⑤日本が単一民族、単一国家として成立してきたかのような思い込みを繰り返し否定した、つまり網野氏はそれまでの日本史の常識の1つ1つに疑義を呈し、全てを相対化しようと試みた」(読売新聞記事)ということで、確かに評価が真っ二つに割れるのがわかる。
 ・最後の「歴史学の新動向について」(1986年のだがなぜか「遺稿」)は、ご本人が自説をコンパクトにまとめたと言えるもの。7世紀半ばに西日本で国家が成立、12世紀には東日本にも国家で東西対立、14世紀に2つの国家はそれぞれ解体し小国分立・・・と教科書で教わったのとは明らかに異なる歴史が語られる。
(2)の本(ある編集者が網野さんの対談やインタビューをまとめたもの)
 ・まず、網野さんの歴史研究の根底に「日本常民文化研究所」という、知の極致(遊び)のように思えるとても「贅沢」な組織での出会いや研究のあったことがわかる。現在は神奈川大学が運営(http://jominken.kanagawa-u.ac.jp/about/02.html)それを支えた渋沢敬三さんがすごいが、水産庁等の革新派役人の果たした役割も大きかったとのこと
 ・やはり一番おもしろかったのは網野さんの「もののけ姫」評論と、網野さんと宮崎駿さんとの対談だ。網野さんはこの映画を、自然と人間という二つの聖地が激突する悲劇(一方が生きるためには他方が犠牲になる)と捉え、この映画が、両者の衝突(人間が自然を畏れなくなったこと、又は、自然のアジールと人為的アジールがぶつからざるを得なくなったこと)の始まった室町時代を舞台にした見識等を高く評価している。宮崎さんも、大いに謙遜しているがこの時代のことをすごく勉強して(七人の侍的歴史観に対するはっきりとしたアンチテーゼとして)この映画を作っていることがよくわかる。まるでこの作品は、宮崎さんと網野さんの共同制作のように思える。
・「アジール」というのも網野史学のキーワードなのかよく出てくる(私は初めて聞いた言葉だが)。この本によると「世俗の世界から縁の切れた聖域、自由で平和な領域」のことで、「山(自然)から寺院、市庭(聖地)へ、そして自治都市へと広がっていったが、16世紀頃から俗権力の弾圧を受け縮小、せいぜい「縁切寺」程度になってしまった」ということである。
<感想>
・加藤さんの本などで近現代史には興味を持ったし、多くの人が学ぶべきものだと思えたが、中世や古代(そして「網野史学」にも)にはやはり興味は持てそうもない。網野さんが言うように(中世や近世に対する)歴史観を変えることが、これからの社会を間違ったものにしないためには必要、という風に思えないためか。以上




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2010年09月26日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

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