スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--年--月--日 | スポンサー広告 | とっぷ

11月 河野裕子さん2冊

(著者等)「逝く母と詠んだ歌五十三首」(永田紅、文藝春秋10年11月号)
     「河野裕子」(シリーズ牧水賞の歌人たち7)伊藤一彦監修、真中朋久編集*10年9月20日初版第1刷
<契機>
 著名な歌人で、京都府あけぼの賞も受賞された河野裕子さんが今年8月12日に亡くなられた。恥ずかしながら、生前に河野さんの歌は読んだことがなかったが、文藝春秋11月号の娘さんの手記で、絶筆11首中の「あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき」や「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」に触れ、圧倒的な言葉の力に感動し、没後に刊行された「河野裕子」を購入。歌関係の本は20年位前に俵万智さんの3部作を購入して以来。
 言葉の魅力、可能性、恐ろしさなどをよく感じさせてくれる本で、編者が11月9日の京都新聞夕刊に書かれていたように「むしろ今から多くの人に河野さんの作品を読んでもらいたい」と本当に思うし、読む人の年代や環境に応じていろいろなことを感じさせてくれる歌の数々だと思う。 
<概要>
・邪道とは思いつつ、やはり、編者が選んだ「代表歌300選」がよい。第1歌集「森のやうに獣のやうに」から第13歌集「母系」まで(刊行された歌集は第14歌集「葦舟」まで)の代表的な歌が時代順に取り上げられている。生の発露のような第1歌集から、結婚、出産、子育て、アメリカ滞在、様々な賞の受賞などを経て、乳ガンの発病、手術、転移(発病時の第10歌集は「日付のある歌」)、お母様の病気から死去に至る、それぞれの時期の歌を読むことができる。印象的だったものを列挙する。
(第1歌集)たとへば君 ガサッと落ち葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
      夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと
      あたたかく寂しき抱擁 あなたより先に生まれて何の羞しさ
(ひるがほ)まがなしくいのち二つとなりし身を泉のごとき夜の湯に浸す
      燭近く眼のちり取りてやりし後不意になまなまと妻と思ひつ
      しんきらりと鬼は見たりし菜の花の間に蒼きにんげんの耳
(桜森)  たつぷりと真水を抱きてしずもれる昏き器を近江と言へり
      子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
      頬を打ち尻打ちかき抱き眠る夜夜われが火種の二人子太る
(はやりを)さんざめく男らの端に柿の皮器用に剥き終へ用なくわれは
      チョークの矢道に書き継ぎ帰り来て「木にも壁にも描いた」と子言ふ
      たつたこれだけの家族であるよ子を二人あひだにおきて山道のぼる
(紅)   千代紙や独楽を交易の具となして現地小学校に子は馴染みゆく
      ひらがなでものを思ふは吾一人英語さんざめくバスに揺れゆく
(歳月)  歌はれし妻われは常に妙な妻、未完の一首卓上にあり
      こゑ揃へユーコサーンとわれを呼ぶ二階の子らは宿題に飽き
(体力)  椅子の背を両手でつかんでもの言ふはこゑにまつすぐの力欲しきとき
      書くことは消すことなれば体力のありさうな大きな消しゴム選ぶ
      かうなれば可愛い婆ちやんなるしかない 軽い丸メガネを買ひにゆく
(家)   二人しか居ない子のまづ上の子が出でてゆきたる 歯刷子置きて
      夏至はもう何年もまへのことに思はれて変に静かな夏ばかり来る
      死ぬるまで私は歌人か、鶴みたいに羽を抜き続けそれでもいいか
      じゃがいもを買ひにゆかねばと買ひに出る この必然が男には分からぬ
(歩く)  さびしさよこの世の外の世を知らず夜の駅舎に雪を見てをり
      会ふたびにらつきよのやうになりてゆく小さなあたまの人なり母は
      竹箒二本買ひ来て落葉らと戦ふやうに掃くうちに冬
      よその家の台所は勝手が分からんと帰り来し息子が俎板使ふ
      あと何度こんな前夜が来るだらう下着改めて家事のメモして
      一文字に切られし胸を人は知らずショールをかけて風花の中ゆく
      歩くこと歩けることが大切な一日なりし病院より帰る
(日付のある歌)大丈夫さと言ひてごろんと寝入りたりそんなものでせうかとつられて寝ねぬ
        何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない
        明日になれば切られてしまふこの胸を覚えておかむ湯にうつ伏せり
        ああ寒いわたしの左側に居てほしい暖かな体、もたれるために
(季の栞) 足の指一本一本たいせつに素足で歩く踵を立てて
      灯ともさぬ階段に腰かけ待ちてをり今日は君だけが帰りくる家
      喋り過ぎすつからかんになつてしまひ馬穴のやうにがらんと転がる
      そのときを身体は記憶す手術台に真一文字に胸は切られて
(庭)   逃がしても逃げてもいけないこの身体、術後一年まだ痺れゐる
      二日まへに京都の家へ来てくれしつきゐし杖も柩に入るる
      挨拶のつもりで言ひくる誰彼のお身体如何 もう放つといて
      頭がぼおつとと言ひて少し置き母は再た言ふあたまがぼおつと
      今ならばまつすぐに言ふ夫ならば庇つて欲しかつた医学書閉ぢて
(母系)  ユーコさん元気でね青空があをいまま山に沈みゆく
      倒れ伏しそれでも咲きゐるコスモスにしづかな寒さが降りてゐるなり
      病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ
      京都で何があつたのと母は言ふ額に額あてて私が泣けば
      死んでゆく母に届かぬ何もできぬ蛇口の水に顔洗ひ泣く
      死ぬことが大きな仕事と言ひゐし母自分の死の中にひとり死にゆく          
・本書には、この他、様々な方の様々な視点からの解説、それと自歌自注(代表作とされている「たつぷりと・」について、ご自身も夫君も当時それほどいい歌だと思っていなかったという話など)もあり、大変読み応えがあるが、上に掲げたものを見るだけでも、やはり歌自体を読むのが一番よくわかるのではないかと思う。
・素の自分をさらすことを恐れず、むしろ自分を少し突き放して興味深く見つめる河野さんの姿勢、覚悟のようなものに共感するし、感動もする。
・最後の「作歌あれこれ」では、多産(最高で三日で二百数十首、「息ひとつ衝くと歌ひとつになって出てくる」と評している方も)、厳選しない、推敲もしないですぐFAXしてしまうなど、河野さんの歌作りの現場がかいま見られて楽しい。(「四年まへ乳腺外来に行きしかど見過ごされたりこれも運命か」などについても語られているのにはびっくりするが)
 また「河野裕子を詠んだ歌」も大変ユニーク。最後に、絶筆11首が掲げられている。
<感想>
 ただただ感動、迫力にも圧倒。以上

スポンサーサイト

2010年11月11日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。