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11月 アメリカ外交50年

(著者)ジョージ・F・ケナン(岩波学術文庫)*00年10月16日第1刷発行
<契機>
 山本七平さんの「日本はなぜ敗れるのか」で日米彼此の違いを再認識し、以前から読みたいと思っていたアメリカ外交論の教科書的本に挑戦。著者は、冷戦時の「封じ込め政策」の立案者と言われ、外交を全体的見地から検討する国務省初の常設ポスト(政策企画室)の責任者を務めた外交官(第1部当時)。その後学界に転じ、左翼的立場に立たないベトナム戦争批判者としても知られるとのこと。大部だが一気に読ませる、まさに名著、読み継がれるべき本であることを実感
 
<第1部アメリカ外交50年(1951年シカゴ大学における講演)>
・講演当時アメリカが直面していた政治的、軍事的危機のよって来たるところを探ろうと、危機の出発点と考える20世紀当初からのアメリカ外交を批判的に振り返ったもの
・まず、アメリカが初めて植民地を獲得したスペインとの戦争は、「戦争に至らざる手段による解決の可能性が全然消滅したと言い得ないような状況の下において、議会及び国民の強力な要求に屈服して他国への戦闘行為を開始した」もので、「その最大の失敗は、「政府の正しい権力はその淵源を被治者の同意に発するとの命題に基づいて建国したわれわれアメリカ人は、いったいいかなる権利によって、彼らを市民としてではなく被支配者としてわれわれの組織内に包容しようとするのか」という問いを無視したことである」とする。勝利した戦争についてこのように言えるのが何よりもすごいし、それが外交の古典として読み継がれるのもすごいと思う。
 なお、著者のこの立場の根底には、建国の理念というよりも、遠く離れた植民地を経営することは政治的にも経済的にも大変なことであり、その犠牲を受け入れる国民的覚悟がないままには引き受けるべきではないという冷静でプラグマティックな分析がある。
・その後アメリカは、「中国における門戸開放原則の提案など、現実的には意味がない(何ら具体的な成果をもたらさない)が、国民(国内)的には自国のプレゼンスを示すものと歓迎される政策に固執し、それが、特にロシアの南下に深刻な危機感を抱いていた日本帝国の死活的利益と対立することになった」とする。
 余談だが、著者は、日本がロシアの南下を阻止するために行っていた政策が、結果としては極東地域の勢力均衡(政治的安定)に役立っていたとし、第二次大戦後アメリカが、それ(日本が半世紀にわたって担ってきた問題と責任)を引き継がざるを得なかったことが戦後のアメリカの苦しみの原因になったとも考えている。
・第一次大戦の経過は、「一度戦争が始まれば、それまでの冷静な考え方(勢力均衡論、戦争を余り長く維持するとヨーロッパの均衡を破壊し、力を枯渇させるから、混乱を最小限に止めかつ将来への最大の安定をもたらすような基礎に立って戦争をできる限り早く集結させようという考え方に結びつく)が一夜にして、「全面勝利をもたらすまで徹底的に闘わなければならない」という考え方に切り替わってしまうという民主主義の奇妙な特徴をよく示したもの」だったとする。
 その結果、事態は「かつてウィルソン自身が批判していた「敗戦国に苦痛と怨念と苦々しい記憶を残す、砂上の楼閣のような講和」となった。
・「二大戦前の世界の陸軍力と空軍力の圧倒的部分は、ナチス、ソヴィエト、日本の3つの全体主義国の手に集約されており、日本だけは米英で撃破できただろうが、ナチスとロシアはおそらく不可能なほど強力であったので、米英はこのいずれかと手を結ばざるを得なかった、したがって、この戦争は最初から、完全な勝利のあり得ず、勝利しても大きな制約が課される運命にあった」「二大戦は一大戦の結果に当然含まれていた、ドイツ国民が大した抵抗もせずにヒトラーを自分の支配者として迎える心境を持つに至ったとき西側は既に大きな敗北を期していた」「二大戦の最大の過誤(←こう言えることがすごい)は、指導的地位にある人の下した軍事的諸決定いというよりも、社会全体が取った態度と理解の仕方にこそあった、すなわち、いずれかの全体主義国と協力し代価を払ってのみ遂行可能な戦争であったことへの無理解、より本質的には、戦争一般が民主国家の目的を達成するための手段として限界を持っている(それ自身ではいかなる民主的目的に対して積極的に貢献することはない)ことへの無理解である」
・そして、最終章で、有名な見解「われわれが過去において政策樹立にあたって犯した最も重大な過誤は、いわゆる国際問題に対する法律家的、道徳家的アプローチのうちに求められる」を述べ、「その最大の欠陥は、法律家的観念と道徳家的観念の不可避的な結合、つまり国家間の問題に善悪の観念を持ち込むことである」「それは、明らかに戦争と暴力をなくそうとの熱望に根ざしているのだが、国家的利益の擁護という古くからの動機よりも、かえって暴力を長引かせ、激化させ(全面戦争、全面勝利!)、政治的安定に破壊的効果をもたらす」「そもそも全面勝利は勝利者の幻想、人の心を征服しない限り、相手国民全部を殺戮する以外になく、全面勝利という観念ほど危険な妄想はない」と喝破する。
・そして、「我々が理解できるのは自身の国家的利益だけであること認める謙虚さを持とう、そして、それが他国民に対して尊大、敵意、優越的妄想にとりつかれていない限り、我々の国民的利益の追求は必ずやよりよき世界をもたらすものである」とし、「その発想において現実的であり、我々自身及び他の人々をともにあるがままに観察しようとする努力に基礎を持つところのものは・・狭量であることはあり得ないのである」と結ぶ。
←この最終章は、訳文を読むだけでも大変格調が高く、まさに名文(内容が説得的であることが当然の前提)

<第2部、第3部>
・第2部は、フォーリン・アフェアーズ47年7月号に「X」名で掲載されケナンの名と「封じ込め政策」を国際的に有名にした「ソヴィエトの行動の源泉」と、同じくフォーリンアフェアーズ51年4月号に掲載された「アメリカとロシアの将来」から成る。ともに、その冷静な現状認識、ソ連の軍事的意図を過大に評価し感情的な対応を行うことへの厳しい批判、そして、既にソ連の崩壊を正確に予測するかのような様々な記述に驚く。
・第3部は、第1部の講演から30年ほど後の2つの講演「ウォルグリーン講演(←シカゴ大学講演)の回顧」「アメリカ外交と軍部」が掲載。二大戦後のアメリカが核兵器を軍備の主柱に据えたことやベトナム戦争に対する鋭い批判が展開されている。

<感想>
・第1部から、30年後の第3部まで通しで読むと、ケナンの立場が一貫していること、そして、「現実主義」の持つ現実との緊張感、革新性を実感できる、外交に関係ない多くの国民が読むべき(読んで価値のある)真の名著だということがよくわかる。
・本書は「日本は~」における山本さんの主張の格好の裏付ともなっており、アメリカの健全性、懐の深さをよく表してはいると思うが、ベトナム戦争やイラク戦争、そして最近のティーパーティへの支持の広がりも同じアメリカであり、それらをどう見るか悩むところ。ちなみに、本書は「現実的であることが進歩的でないはずがない」というケナンの名言の出典とされるが、ついにそれを探し出すことはできなかった(第1部最後の文が(違う訳だが)それのような気がするが・・)以上

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2010年11月21日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

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