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10月 アッシジのフランチェスコ

(著者)川下勝(清水書院)*05年3月10日第2刷発行
<きっかけ>
 NHK「世界遺産への招待状」イタリア・アッシジ編が「イタリアが愛した男」として聖フランチェスコを取り上げ、そのキーワード「小さき者として生きなさい」がとても新鮮だったのと、十字軍の時代にキリスト教とイスラム教の和解を試みたという逸話にも興味を引かれ、比較的新しい本書を購入
 そう言えば、映画「ブラザーサン・シスタームーン」や小鳥に説教する聖人の絵は見たことがあるような・・
<概要>
○著者はまず、800年前に生きたフランチェスコが現代の人々の心を惹きつけていること(信仰を異にする人々の集う「世界平和の祈り」の象徴、環境保護に携わる人々の聖人となっていること等)、そして、宗教的原理主義・排他主義と自然破壊・自己破壊の時代に彼の生き方を辿ることは大きな意義あると述べる。
○生涯
・マヨーレス(より大きな者、上流階級)とミノーレス(より小さな者、庶民階級)に分けられた封建時代に、ミノーレスから勃興した豊かな新興階級(豪商)の長男として生まれ、若い頃はマヨーレスになることを夢見ていたが、捕虜体験やハンセン病患者との出会いを通じて、十字架からの声を聞き、全ての財産(相続)を放棄して神と人々への奉仕のみに生きることを決意(24歳頃)、以後44歳で死去するまで「キリストの完全な写し」と言われる生活を送る。「カトリック教会の位階は助祭、司祭、司教(教皇は司教の一人)であるが、フランチェスコは永久助祭であった」
・「弟子が11人になったとき、教皇に正規の修道会と認めてもらうためローマに赴いた。教皇は彼らの身なりを見て「豚に説教しなさい」といったらそうしたので、後悔し彼らの願いを聞き入れた(小さき兄弟会誕生)」
・「フランチェスコは改革者になることは考えてもいなかったが、イエス・キリストを「貧しいキリスト」ととらえ、そのように生きようとし、結果として改革者となった(身分制社会で男も女も「兄弟として生きる」など)」
○思想
・「彼は物や栄誉等への執着が平和を破壊するとして、何も自分ものとしない道を選んだ。物における貧しさだけでなく「霊における貧しさ」も大事にした。後者は精神的貧困ではなく「謙虚な心、無私の心」の意(「心の貧しき人々は幸いである」(マタイ福音書)」
・「イスラム教徒にキリスト教の教えを説こうと十字軍の基地のあるエジプトに赴くが、その堕落ぶりに失望」「スルタンと直接話そうと弟子と二人でイスラム軍の陣地に」「スルタンと対話し最後は丁重に送ってもらった」「これはほぼ史実で、争いと対立の時代(13世紀)に画期的なこと」「教会が聖なる戦いと位置づける十字軍の時代に、フランチェスコは、武器ではなく、互いの協調と平和、他者、信条を異にする人々への尊敬と思いやりの中で生きることの大切さを説いた。他宗教とその信徒への深い尊敬と彼らと平和のうちに生きようという強い願望」
・「新プラトン主義(精神優位、物質軽視・肉体敵視)の影響の強かった当時、神の創造したものを等しく尊重する(太陽から大地、草木までを兄弟姉妹と見なす)フランチェスコは、1979年、時の教皇から「環境保護に携わる人々の保護の聖人」と宣言された」
・「争ったり、口論したり、他人を裁いたりせず、小さき者にふさわしく・・」「(世俗の会の)会員は武器を取ること、宣誓をすることが禁じられた」「会員たちは無利子で金を融資する共済基金を設立して、救済や福祉につとめた」
<感想>
 一つの生き方を徹底するとここまで広く大きく周囲を変えて行けるのかという驚きを覚える。正統派の三位一体をベースにしつつも、キリストを「貧しきキリスト」と捉え、それ(だけ)にこだわり続けたことが大きいのだと思う。
 私たちが皆「小さき者」として生きられたら本当にすばらしい世界になると思うが、実際は、個人も、組織も皆、こだわり、プライド等(「ダイアローグ」でいう「想定」)を持ってしまうので憎しみや争いが絶えないのだろう。(聖フランチェスコは「イタリアの守護の聖者」でもあるようだ。これはこれで良いのだが、やはり宗教の世界も国民国家(どちらかというと「想定」の根源)がベースにならざるを得ないということか。)以上

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2010年10月08日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

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