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10月 日本はなぜ敗れるのか~敗因21カ条

(著者)山本七平(山本書店店主、角川oneテーマ21)*05年4月20日9版発行
<契機>
 不安定な対東アジア関係の起点とも言うべき2大戦辺りの歴史本を漁る中で発見。帯に「奥田碩氏が幹部に勧めた本」とあったがその理由がよくわかる。中国、韓国やアメリカを批判する前にぜひ読むべき本。歴史や公民の教科書とすべきような本(歴史を学ぶ意義と学び方がよくわかる)。「日本人とユダヤ人」「空気の研究」等で有名な著者が75~76年に雑誌連載したものを30年後(没後)初めて書籍化
<概要>
・本書は、著者が「現在我々が読みうる先の大戦の最も正確な記録」と評価する小松真一氏(比島で終戦を迎えた軍属技術者)の「虜人日記」に記された「敗因21カ条」をベースに、敗戦の原因等(=日本及び日本人が現在も抱える根本的な欠点)について考察したものである。
・著者は、虜人日記を「なぜ(先の大戦が)常識を基準として国も社会も動かず、常に世論という名の大きな虚構に動かされたのか」を考える最適の資料とし、その理由として、小松氏が、田原総一郎氏(当時は若手記者、ベトナム帰還兵へのインタビューの、記録者側が予め「予定稿」を持ちそれに合わない発言は「言い逃れ」などと敵視し都合のよい部分だけを採用する報道姿勢)などの反対に位置するもの(新聞報道等内地の虚構の影響を受けず、現地で現在形で冷徹な観察眼で記録)であることを挙げている。
・「小松氏の掲げた敗因21カ条は次のとおり。
 1.精兵主義の軍隊に精兵がいなかったこと。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなけれなできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた 
 2.物量、物資、資源、総て米国に比べて問題にならなかった 
 3.日本の不合理性、米国の合理性 
 4.将兵の素質低下(精兵は満州、支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)
 5.精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし)
 6.日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する
 7.基礎科学の研究をしなかった事
 8.電波兵器の劣等(物理学貧弱)
 9.克己心の欠如
 10.反省力なき事
 11.個人としての修養をしていないこと
 12.陸海軍の不協力
 13.一人よがりで同情心がない事
 14.兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事
 15.バアーシー海峡の損害と、戦意喪失
 16.思想的に徹底したものがなかった事
 17.国民が戦いに厭きていた
 18.日本文化の確立なき事
 19.日本は人命を粗末にし、米国は大切にした
 20.日本文化に普遍性なき為
 21.指導者に生物学的常識がなかった事」
 なお、以下の上記定式に関する記述は、すべて著者の解釈である。特に、著者は、敗戦の原因を全て物量の差(上記2)に記する考えを一貫して糾弾している。そこで敗戦を正当化する限り、また多くの命が無駄に失われることは必死であるという著者の体験に基づく指摘は重い。
<第2章 バシー海峡>(15関連)
 上記15に託して、日露戦争における旅順の無駄な突撃の繰り返しから毎年繰り返される春闘まで「機械的な拡大再生産的繰り返し」(翻って新しい方法論を探求するのではなく、それを敗北主義と決めつけ、ひたすら一方法を一方向に繰り返し、そこでの犠牲の量に自己満足、自己正当化する)の克服の重要性を強調している。バシー海峡に散った数十万の人たちは自国に殺されたと言うことだろう。
<第3章 実数と員数>(1関連)
 「(精兵)主義があれば精兵がいる、員数がいればそれだけの精兵がいるということにされ、それを疑うものは非国民となった。小松氏のいた比島でも「総兵力2万4千人とされていたが、戦闘部隊は2千人、部隊の武器は旧式歩兵銃が70丁という状態」であった」「内地から出した兵が制海権のない中で大半撃沈されても、あるいは、現地に何の武器がなくても「員数は員数」で無理な命令がくる。できぬと言えば精神が悪いことになる」
<第4章 暴力と秩序>(16、18関連)
 著者も小松氏も、戦中及び敗戦後捕虜経験の中で、日本人の暴力的本性とアメリカ人などの秩序性の違いを実感する。その原因を「日本軍を支えていたすべての秩序は文化にも思想にも根ざさないメッキであり、付け焼き刃であった。二重三重に塗られていたので、一度はがれるとメッキをほとんど受けていない者より醜状になった」としている。 
<第5章 自己の絶対化と反日感情>(13、20関連)
 「日本は自国の文化を普遍化して相手に提示することができず、その結果、相手の文化を理解することも、しようともせず、勝手な思いこみで相手を「矯正」しようとし、親日的であった人をも反日にした」「また、敗戦後、何よりも命と安全を保障しなければならない現地の対日協力者を無責任に放り出した」
<第6章 厭戦と対立>(12、17関連)
 小松氏の体験から軍上層部(プロ)の厭戦ぶり(上官から逃げ出すなど)が描かれ、「それは、秦郁彦氏が太平洋戦争を「プロが投げ、アマだけがハッスルしていた戦争」と定義しているとおりで、やがてはこの状態はアマにも浸透していく」「しかし、全体の心理的高揚に同調しない者は敗北主義者として糾弾された」
<第7章 「芸」の絶対化と量>(1、4関連)
 「われわれは長い間、一定制約下に「術」乃至「芸」を争って優劣を決める世界に生きてきたため、外部的制約が変わっても同様の絶対性を発揮できるという錯覚を抱き、やがて竹槍で原爆に対抗できるかのような神がかり的自信を発生させた」「物量の中にはその国の科学者や職工や農民の全てが含まれていることを見落とし、物量さえあれば勝ち得たという考える考え方そのものに敗戦の最も大きな原因があった」
<第8章 反省>(10関連)
 ここでは、西南戦争の時の敗軍たる西郷軍の思想が全く反省、教訓化されず、逆にそれが日本軍の思想になっていったことが克明に述べられる。「西郷軍は最後まで「官軍の物量に負けた、物量さえ同じなら負けなかった」として玉砕戦術を繰り返していった」「西郷軍も70年後の日本軍も、前提が違えば前提を絶対視した発想・計画・訓練は全て無駄になることが最後まで理解できなかった」
<第9章 生物としての人間>(19、21関連)
 著者が本書を著そうと思ったのは、小松氏の「軍閥は生物学を知らぬため国民に無理を強い東洋の諸民族から締め出しを食ってしまった」「日本は余り人命を粗末にするので、終いには上の命令を聞いたら命はないと兵隊が気づいてしまった」という記述に出会ったことであることが記される。これが当時の日本軍の本質であり、芸の絶対化とともに敗戦の最大の原因であるとしている。この章に最も感銘を受けたし、著者の見方に同意する。
 ただ、著者は併せて、本多勝一氏のように戦争から遠く離れた時代に「残虐人間・日本軍」という批判をする人たちについても、単に残虐行為を糾弾するだけでは当時の日本軍と全く変わらないと批判する。「ある状態に陥った人間はその考え方も生き方も行動の仕方も全く違ってしまうこと、そしてそれは人間が生物である限り当然のことであり、従って人道的とは、人間をそう言う状態に陥れないことであって、そう言う状態に陥った人間を非難罵倒することではない」と述べる。その通りだろう。
<第10章 思想的不徹底>(5、6、7、16関連)
<第11章 不合理性と合理性>(3、11関連)
 この2章はそれぞれ掲げた定式の通りだが、第11章の次の指摘は現代にも通じると思う。「日本軍は外面的組織は全てが合理的に構成されていたが、どこに位置づけて良いかわからない非合理な事象が発生すると全く機能せず無責任体制になった」「どんな組織でも細部や日常生活を規定しているのは結局その組織を生み出した社会の常識である。常識は共通の感覚であり非合理な面を当然に含む、しかしそれはその社会が持つ非合理性を組織が共有しているが故に合理的である」「しかし、社会から隔絶し、無理矢理合理的組織を作り、大仰なゼスチャーとスローガンと大声によって人々の思考と探求を停止させ、いわば個人を思索的に骨抜きにすることによって成立した日本軍は思想的に弱かった」「これは戦後も何ら変わっていないのではないか」
<第12章 自由とは何を意味するか>
 ここで著者は最初に掲げた疑問「なぜ常識が判断の基準にならなかったのか」を問い、「自由な談話」を保障することの重要性を述べる(「自由とは自由な談話の保障である」)。そして、戦後の、(悪である)戦前との対比で戦後の正当性を主張することに対して強く警告する(「日本にはまだ自由はない」)「すごい本だ」の一言に尽きる。以上
   

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2010年10月31日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

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