スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--年--月--日 | スポンサー広告 | とっぷ

5月 ハイエク~知識社会の自由主義

(著者)池田信夫(PHP新書)*08年9月2日第1版第1刷
<読んだ経緯>
・この間読んだ多くの本がハイエクに言及していたので、読みたいと思ったが、時間もあまりないので、できるだけ簡単に書かれたものとして本書を購入。新自由主義の教祖のようなイメージしかなかったが、社会主義だけでなく、社会(人々)を計画的・合理的にコントロールしていけるという全ての奢った思想に対する徹底的な批判者、哲学者であるハイエクの思想の一端、「21世紀はハイエクの時代」という評価の理由が少し理解できた感じがした。
<はじめに>
・「現在の不確実な世界を正しく予測していたほとんど唯一の経済学者として評価されているハイエク」「彼は、生涯を通じて社会主義と新古典派経済学に共通する「合理主義」と「完全な知識という前提」を攻撃し続けた」
・「死後15年以上経って、経済学はハイエクを「再発見」しつつある」「ハイエクは、人々は不完全な知識の下で慣習に従って(必ずしも合理的とはいえない)行動をする、不完全な知識に基づいて生まれ常に進化を続ける秩序があらゆる合理的な計画をしのぐと考えた。情報スーパーハイウェイの失敗とボランティアのインターネットがサイバースペースにグローバルな「自生的秩序」をつくったことはその証明」「彼は、社会主義経済の不可能性を証明しただけでなく、ケインズ政策や「福祉国家」も含めて、およそ経済を「計画的」に運営することは不可能で有害であることを示した」
<第1章帝国末期のウィーン>
・「シカゴ学派(マネタリスト)は(ハイエクが属すると言われる)オーストリア学派の伝統を受け継ぎ、世界の経済学の主流になったが、均衡理論を拒否するハイエクは、フリードマンや合理的期待学派には批判的」
<第2章ハイエク対ケインズ>
・「ケインズは、政府が介入する根拠を見出すという結論を最初から想定して理論を組み立てたので、その内容は論理的にかなり無理のあるもの。(大恐慌前に書かれた「貨幣論」では金融政策で不況は克服できると書いているが「一般理論」では金利の引き下げは効果がないと主張)失業者がいるとき政府が公共事業で彼らを雇用すれば失業者が減るのは自明の理で、問題は公共事業にどの程度の効果があるのか、公共事業による財政赤字をどうするのかということ」
・「しかし、ハイエクは大恐慌に対して有効な処方箋を書くことができず、論争はケインズの圧倒的な勝利に終わり、ハイエクは教義の経済学の研究から身を引いた」
<第3章社会主義との闘い>
・「市場経済では価格によって商品の価値が表示され、人々は複雑な計算をしなくても商品の価格と自分の主観的評価(限界効用)を比較するだけでよく、企業は正しい価格を計算なしで知ることができる」「このメカニズムが機能するためには、財産権によって商品とその所有権が一対一対応していることが不可欠」
・「社会主義には、価格も財産権もないからこのシステムが機能しないはずだが、影の価格を想定する「分権的社会主義」は理論的にこの難を解消できるはずであった(現にOR(オペレーションズ・リサーチ)はそこから生まれた)」「しかし、分権的社会主義は、目的関数が決められず、無理に決めても独裁制、官僚制の下でそれを計算する正しいデータは出されなかったため失敗」
<第4章自律分散の思想>
・「スミスは、誰も指揮していないのにあたかも社会全体が一つの工場のように機能する仕組みを分業と名付けたが、ハイエクはそれに劣らず重要な知識の分業という概念を提唱」
・「市場が効率的な資源配分をもたらすという新古典派の結論は、すべての人々が完全な情報をもっているという条件に依存しているがそんなことは不可能。ハイエクが考えたのは、それなのに市場経済がそれなりに回っているのはなぜかということ」
・「価格メカニズムの優位性をもたらしているのは、新古典派的資源配分の効率性ではなく、知識のコーディネーションの効率性(知識の経済性、すなわち市場の参加者が正しい行動を取るために知るべき知識が計画経済よりもはるかに少なくてすむということ)」
<第5章合理主義への反逆>
・「ハイエクが合理主義に反対する背景にあるのは、計画主義は危険であるという確信と、人間の「無知」から出発して社会を考えるべきであるとする会議主義」
・「自由の価値も懐疑主義から導かれる」「自由に価値があるのは、新古典派が言うように、それによって効率的な資源配分が実現するからではない、自由の意味は無知な人々が最大の選択肢を持ちいろんな可能性を試すことができることにある」「われわれの社会が最適だという保証もなければ、それに近づいているという保証もない。人々に間違える自由とそれを修正する自由を与えることにより、少しでもましな状態に保つことしかできない」
・「自然発生的にできた制度、起源や根拠のはっきりしないルール(伝統や習慣)は、個人の経験を超える価値があるとともに、法的な権力で強制せずとも守られるので、尊重すべき」「しかし、ハイエクは自身を保守主義者ではないとし、既得権の擁護やナショナリズムに懸念を示している」
<第6章自由主義の経済政策>
<第7章自生的秩序の進化>
<第8章自由な社会のルール>
<第9章21世紀のハイエク>
・「20世紀を支配したのはニュートンやノイマンのような機械論的モデルだったとすれば、21世紀はウィーナー「サイバネティックス」やハイエクを元祖とする進化論的モデル」「インターネットのルールはRFC(コメントしてください)でハイエク的」「ハイエクは実定法的なテシスより慣習法のようなノモスとして法秩序を構成し、問題があれば徐々に改めればよいとした」「インターネットのいい加減なルールはノモスの一種」
・「「自由の条件」の頃のハイエクは、自由な社会の普遍性を信じ、人々が斬新的な改良を重ねることによって望ましい社会が実現すると考えていたが、晩年の彼は、市場が自生的には存続できないという側面を強調するようになり、議会改革などを論じるようになる」「問題は複数均衡の下での均衡選択をどう考えるかということ、この問題そのものを試行錯誤によって解く「メタ進化論的」なアルゴリズムを考えるしかないだろう(例えば、労働・資本市場の改革で参入・退出を容易にし、局所解を脱却する創造的破壊によって全体最適解を探す)」
<おわりに>
・「われわれはハイエクほど素朴に自生的秩序の勝利を信じることはできないが、おそらくそれが成立するよう努力する以外に選択肢はないだろう」

スポンサーサイト

2010年05月23日 | ソーシャルキャピタル、ガバナンス | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ見せる

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。