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7月 はじめての言語ゲーム

(著者)橋爪大三郎(講談社現代新書)*09年7月20日第1刷発行
<読んだ経緯>
・6/11の東郷和彦さんの講演会における「歴史と哲学を勉強しよう」というメッセージが大変印象的だったので、今まで読んだことのなかった哲学分野の本に着手。手始めに買ってあった本書を読んだが、書いてあることがほとんどわからないにもかかわらず結構魅力的な内容のような感じがして、以後ほぼ2か月、同様の状態で何冊かの哲学分野の本を読んだ。
・本書は、帯に「初めてのヴィットゲンシュタイン」とあったので入門書かと思ったが、どちらかというとヴィットゲンシュタインを肴にした著者の思想、自著の紹介本で、どこまでがヴィットゲンシュタインの思想なのかよくわからないが、著者の熱意の伝わる良い本だった。
<概要>
・まず、ヴィトゲンシュタインの生い立ちが語られる(キーワードは、ウィーン、ユダヤ系、裕福な鉄鋼財閥オーナーの息子、兄たちや友人の相次ぐ自殺による自殺への不安・・)ちなみに、彼に学校に通っていた時期があり(通常は家庭教師)、その時ヒトラーも同じ高校だったとのこと
・数学に対する興味からラッセルの弟子になり、数学、論理学に才能を発揮するが、後離れていく。ラッセルの関心はアカデミックな学問の話、一方のヴィトゲンシュタインは、「ひとの役に立つ価値のあることをしなければという人一倍の焦燥感(自分が無価値な人間ならばこの世界に存在すべきではない)」
・「論理哲学論考」
 「第1次世界大戦で世界が壊れようとしてる、このまま壊れてよいのか、いや壊れてはならない、世界は生きるに値する、そのことを証明しようと、ヴィトゲンシュタインは「論理哲学論考」を執筆した(生前発表した唯一の書物)」
 「7つの命題(1)世界とはかくあることのすべてである、(2)かくあることすなわち事実とは、事態が存立していることである、(3)様々な事実の論理的な写像が思考である、(4)思考とは有意義な命題である、(5)およそ命題は要素命題の真理関数である、(6)真理関数の一般形は・・・である、(7)語りえぬことについては沈黙しなければならない」これを筆者なりにまとめると「(1)世界は分析可能である、(2)言語も分析可能である、(3)世界と言語とは互いに写像関係にある(同型対応している)、(4)以上(1)~(3)のほかは、言表不能=思考不能である」「誰もが認める「論考」の謎、それは命題(7)である」
・「哲学探究」(後期の主著、遺稿として出版)
 「これによって「言語ゲーム」のアイデアが広く知られるようになった。言語ゲームとは、規則(ルール)に従った、人々のふるまいのこと。ごく少数を知るだけで数え切れない場合に当てはまる規則(ルール)を理解する、この能力こそ人間が人間であることの根本ではなかろうか。ルールを理解することが、もうこれ以上さかのぼれない、最も根本的な出来事だ」
 「社会は言語ゲーム(の集まり)である。言語ゲームは私たちが言葉を用いることを可能にし、私たちが住むこの世界を成り立たせている事柄そのものである」
 「言葉はなぜ意味を持つのか、という問いに対して、「論考」は言語と世界は一対一に対応するからと答えたが「探求」は言語ゲームの中でルールによって事物と結びつけられているからと答える」
・「言語ゲームは人間が人間であることの条件である。ルールに従って振る舞う限り人間は人間であり、そこにこの世界の希望がある、だからヴィトゲンシュタインはルール懐疑論と全力で戦った」
・再度「論考」の(7)命題について
 「語りうることを語っている限り地球上の人々は一つの共同体を構成する。「論考」は言語に語りうることという条件を付けて人類を一つの共同体に繋ぎ止めたいという意図を持っていたのではないか。ヴィトゲンシュタインが「語り得ぬもの」としたのは、人々がこの世界を生きていくのになくてはならない「意味」や「価値」だった。それを言葉で述べたとたんに人々は分裂し、対立し始めると彼は直感したのだろう。だから「語りえぬこと」と「語りうること」の間に線を引き、垣根をこしらえた」
 「しかし、言語ゲームに「語りうること」「語りえぬこと」の区別はない。言語ゲームの場合、言葉が意味を持つか、どういう意味を持つかは事情による、無条件ではなく条件付きである。言語ゲームの一番優れたところは人々が意味や価値を信じるとはどういうことか、具体的なできごと(ふるまい)に置き換えることができることであり、異なる歴史と伝統を持ち異なった価値や意味を支える人々の共存の条件は何か等を考える上で役立つ」
 「具体的には、異なった伝統、文明に属する人々がどうやって生きてきたかのアウトラインの記述→それぞれのゲームのルールの比較→それをより良く作り替えていく提案。言語ゲームは価値相対主義とは違う。価値~はすべての文明等に同じ価値を与え、問題を解決しようとしない、自分がどこに属するかも気にしない、責任を取らない。言語ゲームの出発点は、自分がどんな言語ゲームに属しているかの確認であり、どんな言語ゲームもだんだん別の言語ゲームに変えていくことができる(困った社会も根気よく向き合えばいつか道は開けると希望をもってよい)ということである」「言語ゲームは、これまで提案された中で、人間をその本質においてとらえる、最もシンプルでエレガントな試みである」

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2010年07月30日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

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