スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--年--月--日 | スポンサー広告 | とっぷ

7月 東京裁判

(著者)日暮吉延(講談社現代新書)*08年2月6日第三刷
<読んだ経緯>
・加藤さんの「それでも日本人は戦争を選んだ」の後は「選んだ」戦争の指導者たちが裁かれた東京裁判について勉強しなければと思い、以前買って読めていなかった本書に挑戦
・基本的に学術論文の普及版、淡々としたまとめ本だが、東京裁判が裁判ではなく国際政治の一幕であったことがよくわかる本。ただ、A級戦犯、もっと無茶苦茶なB.C級戦犯裁判の下で裁かれた人たちは無念だったと思うが、無責任な国家や軍の指導者の下で死んでいったもっと多くの国内外の人たちに対する責任は誰が、どうやって取るのか、ということはまだ未解決の問題なのだという気がする。
<概要>
・まず、小泉首相の靖国参拝で議論の的となったA級戦犯合祀の経緯が語られる。(旧軍の流れをくむ厚生省援護局が積極的に推進したことなど。キーワードは「合祀しないと東京裁判の結果を認めたことになる」)
・用語の問題「A級とは「平和に対する罪」で国際軍事裁判所に起訴された者、B級とは「通常の戦争犯罪」、C級とは「人道に対する罪」でそれぞれ起訴された者の意で、序列を示すものではない」
・「東京裁判をめぐっては、同時代から「文明の裁き」論(肯定論)と「勝者の裁き」論(否定論)が正面衝突し今も基本的な構図」「これら両極端の立場は、どちらも単純明快なだけに魅力をなかなか失わない」「二つの論理をつなぐ鍵は「安全保障」、連合国と日本双方にとって国際政治における安全保障政策であった」
・「法的論点としてはA級、C級は事後法であったこと」「マッカーサーは東京裁判に批判的であった。占領成功のため、穏健かつ迅速に戦犯処罰を(米軍だけで裁く)すませたかった。長引けば怨恨感情が根深く残るため」
・「多くに日本人は戦争責任を東條ら旧指導者に負わせ、自分自身は無関係を決め込んだ、勝者の責任追及を歓迎した」「被告らが罪状認否で無罪を主張しただけで、当時の新聞は親の敵のように痛罵した、これが当時の多数意見だった」
・以下「連合国は何を告発したか」「日本はどのように対応したか」と続く。天皇不起訴、連合国それぞれの思惑、被告の中で弁護方針をめぐる乱れなどが詳しく描かれる。一人一人の被告はそれぞれの信念を持った立派な人たちだったと思う。しかし、ここでの泥仕合的様相などを見ると、本音と建前の国、だ加藤さんの本にあった「自国民を本当に大切にしなかった国」ということがよくわかる。
・「判決はいかにして書かれたか」では、従来のパル反対意見だけでなく、多数派7対少数派4を基本にしたダイナミックな判決決定過程があったことが描かれている。また、死刑と無期を分けた理由などについても興味深い分析がなされている。
・「判決に対してほとんどの日本人は反発しなかった。一つの理由に法廷で示された数々の残虐行為の影響」
・「なぜ第二次東京裁判は実施されなかったのか」からは、岸信介らA級容疑者が冷戦の推移に期待をかけていたことなどが語られ、そのとおり(+アメリカの財政問題も関連して)政策変更がされていった経過が描かれ、講和会議で日本が裁判の「判決」受諾をしたが、それが「裁判全体の正当性」の受諾か「単なる結果」の受諾か争われるようになる経緯も描かれる。
<感想>
東京裁判を冷静に議論しようとした場合役立つ本だと思う。東京裁判に対して個々の論点で異論はあるにしても、全体としては当時の日本人はこの裁判を受け入れたことは認めるべきだと思う。ただ、それで日中戦争等のすべての責任問題が片づいたことにはならないのだろうと思う。同時に「A級が合祀されているから」という理由だけですべてを否定することもおかしいのだと思う。指導者間でいえば明らかな不公平な中で処刑された人たちと、うまく立ち回ってあるいは偶然に、処刑されなかった人たちの間だにどのような差があるのだろうか。もちろん、著者が言うように、東京裁判を安全保障政策ととらえるなら、それ(すべての責任を被告たちだけに問うことで決着を付ける)を所与のものとする考え方もあるのだとは思うが・・。以上

スポンサーサイト

2010年07月31日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ見せる

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。