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7月 開かれた社会の哲学~カール・ポパーと現代

(編者)長尾龍一、河上倫逸(未来社)*94年4月25日初版第1刷発行
<読んだ経緯>
・哲学の解説書を斜め読みする中で魅力を感じた(ある程度理解できた)のは政治哲学系のもので、その中でも特にポパーの「批判的合理主義」が魅力的であった。「批判を許容する、批判に対して開かれている」ということは、科学のみならず社会全体から個人的問題に至るまで、最も大切な原則だと思う。
・本当は「開かれた社会とその敵」を読みたかったが、1部2部合わせて780頁という量にたじろぎ、まず、ポパーの京都賞受賞時のシンポジウムの記録(ポパー自身の一般向け講演を含む)である本書等に挑戦。しかし、本書はポパーの哲学を理解している人向けの本で、私などには難しかった。
<概要>
・最初にポパーの3つの講演「ヨーロッパ文化の起源~その文学的および科学的起源」「気づいたら哲学者」「日本から学ぶもの」が収録されている。
・「ヨーロッパ~」では「ヨーロッパ文化の起源である「アテナイの奇跡」の主要原因は、僭主ペイシストラトスが下した重大な決断、すなわち学識ある奴隷たちに命じてホメロスの叙事詩イリアスとオデュッセイアを筆記し、相当部数を友人や年の有力者に配ろうとしたことにある」という仮説とその解説(初めての書籍の市場)がなされている。ここで、陶片追放などに表れたアテナイの民主制のすごさ、覚悟(最も優れた指導者を追放することになっても、民主制の健全な発展のため追放する)がよくわかったが、ポパーの思想自体が語られてはいない。
・その後、研究者による各分野からのポパー思想の各側面についての論文が続く。
・その内、「開かれた社会の哲学」の章には、章名に含まれるポパーの主著に関する3論文「開かれた社会と批判的合理主義」(小河原誠)、「開かれた社会の内なる敵」(竹内啓)、「開かれた社会は開いているか」(嶋津格)が収録。
・小河原論文では、冷戦終結後でも本書の有する意義として、①政治哲学における最も根本的な問の転換を迫っていること(ポパーがプラトンの「誰が統治すべきか」という問を「支配は如何になされるべきか」に転換した意義と、残念なことに現代でも「誰が」という問に支配されていることを述べる)、②何らかの意味で歴史の必然的展開を信じる立場への一貫した批判にあるとし、「開かれた社会においては批判が過度に強調されるから社会の解体をもたらす」という批判に対して、「立場の共有がなければ連帯できない」という考え方自体が分裂を生むことを強く警告しており、非常に現代的(よき敗者となるなど、他にも学ぶべきことの多い論文)
・竹内論文も同じ問題意識から、ポパーがプラトンらの閉じた社会の理論に通底する「部族主義」を批判していることに焦点を当て、それは現在でも「企業中心主義」などに生き残っていることを指摘
<結局>
・その後にある、認識論など純粋の哲学的論点に関する論文はどれもよくわからなかったため、清水書院の「人と思想」シリーズで再度ポパーに挑戦することにした

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2010年07月31日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

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