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8月 今こそアーレントを読み直す

(著者)仲正昌樹(金沢大学法学部教授、講談社現代新書)*09年5月29日*第2刷発行
<読んだ経緯>
・「初めての言語ゲーム」でハンナ・アーレントの思想に関心を持ち、入門書を探していたとき「アーレント的思考が現代社会を救う」というキャッチコピーの本書を発見。コピーどおりのすばらしい本だった。
・「ビッグイシューの挑戦」の佐野さんもアーレントの「活動」概念を高く評価していた。アーレントが社会変革とそれほど親和性があるとは思えないが、多様性を尊重しながら社会に真摯に向き合うところが共通しているのだろう。また、本書でも「人・間」という使い方に出会い、懐かしい感じがした。

<序論「アーレント」とはどういう人か?>
「アーレントは一貫して政治思想の平板化、ステレオタイプ化を批判、様々な意見を持つ人たちが(物質的利害から自由に)、公共の場で互いに言語による説得を試み合うことがアーレントの考える本来の政治、その意味の政治を通して、暴力や感情で相手を支配するのではない、人間らしい関係が培われる。つまり、政治的な討議を通して我々は「人・間」となる」

<第1章「悪」はどんな顔をしているか?←著書「全体主義の起源」等>
・「アーレントが政治哲学者として注目されるきっかけとなった「全体主義の起源」は、全体主義に対する常識的な発想(=野蛮、異端)とは異なり、それを西洋近代が潜在的に抱えてきた矛盾の表れとして理解する」
・「アーレントは、国民国家の成立が反ユダヤ主義→帝国主義→全体主義という流れと密接に結びついていると見ている」「ヨーロッパ各地の民衆の間に「国民」意識が広まったきっかけは、フランス革命とナポレオン戦争である」「「彼ら=敵」との対比で「我々=仲間」の共通性が見えてきたのである」
・「「全体主義の起源」第1巻「反ユダヤ主義」は、誕生しつつある国民国家にとって身近な敵として名指しされたのがユダヤ人であるという視点からの分析」「そこに、同一性を求める国民という集団が自分たちの身近に異質な者を見いだし、それを仲間から排除することにより求心力を高めていこうとする自/他の弁証法のメカニズムを見る」「第2巻「帝国主義」は、ユダヤ人を敵対項として形成された国民意識が、帝国主義によって更に拡張強化されたことが指摘される」「第3巻「全体主義」で、アーレントは大衆社会の誕生によって国民国家という理念が衰退したことが全体主義運動を生み出すきっかけになったと指摘」「大衆とは、政治の消費者と化した受動的な市民たちであり、アーレントはそこに無構造性(原子化)を指摘する」「ナチスやボルシェビキズムは、アトム化した個人が自らがその一部であると感じ、安住できるような一貫した世界観(救済の物語)を提示することによって大衆を一つの運動に組織した(世界観政党)と見る」「また、何百万単位の人間を計画的・組織的に虐殺し続けることが可能であったのはどうしてかという問題を提起し、「エルサレムのアイヒマン~悪の陳腐さについての報告」において、彼がホロコーストの象徴となったのは、彼の中に悪の根源のようなものがあったからではなく、彼が与えられた職務を淡々とこなす陳腐な役人であったからに他ならないことを明らかにした」「アーレントは、西洋近代の政治思想が前提としてきた「自らの理性で善を思考する主体」としての人間像に疑問を抱いた」

<第2章「人間本性」は本当にすばらしいのか?←「人間の条件」>
・「アーレントは人間であるための3つの条件、①労働(肉体が生きていくのに必要なこと)、②仕事(人工物的世界を生み出す営み)③活動(言語や身振によって他人の精神に働きかけ説得する営みで、人間にしか見られない)を提示し、特に③を重視」「③は人格の複数性とそこに「間」の空間のあることを前提とし、価値観の多様性を生み出す」「(アトム化して周りから見捨てられているという感情を抱いている人たちを一つの世界観によって再度まとめようとする)全体主義は、異なった意見を持つ人たちが複数のパースペクティブから討論し合って小野の見方を多元化出来る余地=(空)間を潰してしまう」「アーレントにとって、ナチスやスターリニズムに端的に見られる「陳腐なる悪」の本質は、多くの人を殺したことそれ自体よりも、自分たちと考え方が違う異なったものの「活動」の余地をなくし複数性を消滅させようとしたことにある」「複数性を喪失した人間は、他者との間で本当の意味での対話をすることはできなくなる」

<第3章人間はいかにして「自由」になるか?←「革命について」等>
・「アーレントの自由は(物理的な拘束を受けていないことではなく)「活動」を通じて生み出される人と人との間の空間の中にこそある。共和主義的に構成された「自由の空間」の中で「活動」することを通して、人は複眼的な視座を獲得し、自分らしさ(アイデンティティ)を獲得する」
・「そうした視点から、アーレントは「自由の空間」を破壊し「複数性」を衰退させる傾向の思想に強く抵抗する」「「生来の人間性」の「解放」の思想としての性格を強く持つマルクス主義とその源になったフランス革命を批判し、逆に共和主義的自由を定着させたものとしてアメリカ革命を評価する」「アーレントは「外的な障害物を除去しさえすれば人々は「自由な状態へと回帰する」という考え方を含意する「解放」の思想を強く警戒」「アーレントに言わせれば「不幸な人々に対する共感の政治(ロベスピエールたちの政治)」は、討論を活性化しパースペクティブを複数化することには繋がらない、むしろ共感することを押しつける排他的価値観、恐怖政治に繋がりやすい」
・「アーレントは、「活動」のためには「偽善」や「仮面」が必要だという立場をとる」「アーレントは、人が法廷において法によって与えられた人格として振る舞うことと、公的領域において各市民=活動主体が他の市民にアピールするため、よき市民としての仮面をかぶって「活動=演技」することは根底において繋がっていると考える」「人として生まれたことより、人格=仮面を演じることを人間の条件としてより重視するアーレントにとって、人々がせっかくかぶっている仮面をとってその下にある素顔を暴露することは有害でしかない」「アーレントの枠組みで考えれば、2ちゃんねるの書き込みのような匿名のおしゃべりがはっきりした脈絡のないままにいくら連鎖してもそこに公共性は生じてこない」
・「アーレントは、解放の論理で混乱に陥ったフランス革命と対比する形でアメリカ革命、革命の指導者たちが「自由」とは構成すべき(人為的に生み出す)もの、自然状態に戻るのではないことを理解していたことを高く評価する」

<第4章「傍観者」ではダメなのか?←遺作「精神の生活」等>
・この部分は難しくてよく分からなかったが、どうも「注視者=観客として歴史を公平=非党派的に注視し、判定しようとするまなざしが、孤独に陥っていく傾向のある「私の思考」を、政治的共同体を構成する他者たちのそれと結びつけ、かつ、共同体を存続させているのである」ということらしい。時間の余裕が出来たら、やはりカントを読まなくてはならないと感じた。
・引用した文章だけでも感じ取れるが、(原著を読んだ訳ではないが)圧倒的な存在感を持つ学者だと思う。以上

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2010年08月30日 | 歴史、哲学 | こめんと 0件 | とらば 0件 | とっぷ

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